このブログはあとで自分が振り返って楽しむために綴っているわけなのだが、最近はイベントもなく、すっかり書く意欲が失せている。だが、これは書き残さないといけないという出来事が最近あった。
また、昨年死んだ弟のことである。彼のスペイン時代の親友であるマー坊にはすでに会えていたが、弟にはもうひとり、大切な親友がいた。ナオヤくんという人物だ。彼はなんと、俺の弟について綴ったこのブログの記事を見つけ、コメント欄から連絡をくれたのだった。そこで、次に東京に行くときに会おうと約束を交わした。
それからしばらく経ったつい先日、俺はカミさんといつもの強行スケジュールで上京し、義父の墓と鎌倉の墓参りをすることにした。その合間、カミさんと別れてそれぞれ3時間だけ自由な時間を持てたので、俺はナオヤくんに会う時間に充てた。
飛行機が到着してすぐ、俺は待ち合わせ場所の新橋へ向かった。昼間から開いている居酒屋だった。初めて会う彼は、俺がイメージしていた通りの人物だった。まさに弟の親友と頷けるような、言うなればミュージシャン風情の男である。
ナオヤくんと弟の付き合いは、予備校時代に席が隣同士だったことから始まったという。お互い安全靴を履くファッションから、ミュージシャンの気配を感じ取って意気投合し、そこから長い付き合いが続いていった。彼自身、あの「イカ天(いかすバンド天国)」に出演していたドラマーでもある。
俺が弟と濃密な時間を過ごしたのは、主にあいつが中学に上がる前、つまりガキの頃だった。その後はそれぞれ新しい世界で忙しくなり、俺が社会人になってからは互いに海外へ出てしまったこともあって、すれ違うように疎遠になっていった。あいつが死ぬ直前の数年間は色々と話す機会もあったが、あいつが歩んできた人生を知るには、あまりに時間が足りなかった。その空白を見事に埋めてくれたのが、ナオヤくんだった。
彼は、弟との出会いからその後まで、互いに大きく影響を与え合いながら歩んできた二人の人生を、俺に語ってくれた。弟に影響されてニューオリンズに住むようになったこと。弟もまた彼に感化され、アメリカでミュージシャンを目指したこと。互いの挫折の時期に励まし合ったこと……。
彼は日本に帰国し、家庭を持って会社勤めを始めてからは、海外にいる弟とは5〜6年に一度、節目節目で連絡を取り合う程度になったという。それでも、たまに行き来しては会っていたそうだ。弟が帰国した際には、彼の子どもたちのこともよく可愛がっていたというし、ナオヤくんもウチの両親に何度か会ったこともあるらしい。
そんなふうに40年近くも付き合いを重ねてきたナオヤくんのことを俺は全く知らなかった。その彼は弟の歴史をかなり詳細に覚えていて、色々なことを教えてくれた。厳格な父親との確執、兄貴である俺との関係。弟はそうした話を、ナオヤくんとよくしていたらしい。あの時、あいつがどんなふうに思っていたのか、感じていたのか。知らなかった弟の姿が、話の端々から浮かび上がってくる。気づけば俺は、目に涙を滲ませていた。
その中でひとつたまげた話は、親父の話だった。弟とナオヤくんが親密に付き合い始めてから25年ほど経った頃、一緒に酒を飲んでいる際にお互いの親父の話になったという。するとお互いの親父とも鎌倉の学校を出ていて、大学も同じということを知った。しかも同じ歳。ということはお互いに知っているんじゃないか?ということで、ナオヤくんがすぐに親父さんに電話するとなんと「知っている・・・」という返事だった。しかしその中に少しためらいが見られたようだった。そこで今度は弟が親父に電話して聞くと「知ってるよ」とこれまた少し動揺した感じだったという。これまたすごい偶然だ、前の世代からつながっていたぞ!ということで二人で大騒ぎして飲み直したらしいが、そのときの両方の親父のトーンの違いには疑問が残った。
この話を俺が聞いて、すぐに親父の弟、つまり俺の伯父に確認してみてわかったのだが、実はウチの親父は当時どうしようもない不良で、喧嘩っぱやく、近寄りがたく、同級生や先生には相当迷惑をかける存在だったらしいのだ。そこでおとなしくて真面目なナオヤくんの親父さんは、もしかしてずっとウチの親父に頭を悩まされていたのかもしれないという結論になった。
いずれにせよ、こうした縁がつながりながら、俺たちの人生は続いていくのだとまたしても思い知らされることになった。人生は実に不思議で興味深いものだ。

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