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野望(TSBその6)

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前の話

「テーブルシャッフルボードで日本に旋風を起こす。」
この野望は、
例えばパークゴルフが幕別町で始まったようなノリで考えた野望である。
テーブルシャッフルボードのメッカを作り、
協会を設立して全国的にブレークさせ、
その利権を確保してビジネスにつなげる。
そんな、一時は熱い情熱を持った野望であったが、
あの頃の俺は生活を優先させてしまった。
テーブルシャッフルボードで食っていくまでの自信がなかったわけである。

思い起こしてみると、俺はこれまでいくつもの野望を持った。
たとえば、商社にいた時は新しい物流形態を開発してライバル会社を出し抜き、
ある商品群の日本マーケットをひっくり返そうとしたし、
自分でビジネスを始めた時は、
ある業界のインターネットを使ったコミュニティネットワークの構築を目論んだ。
地方に来てから始めたビジネスでは、
広域ケーブルテレビネットワークによる先進的地域の構築も夢見たし、
地元に根差した地域情報ポータルサイトのテンプレートを作り、
全国の人口数万人の小さい町で横展開しようとした。
あるいは移住ビジネスを通して、
地域活性を推進することも試みたっけ。

今になって思うと、野望を持った事業のいくつかは
確かに先見性があったものだったが、
大体において10年以上早すぎた。
ビジネスはタイミングも重要なのだ。
それでも成功したと言えるものもいくつかあったが、
そのほとんどが失敗に終わっている。
そう考えると、自分の人生は失敗の歴史である。

しかし、ここまでなんとかやってこれたのは、
ツイテいたからなのだろう。
だから今はこうしてダラダラと生きていられる。
そのことは考えようによっては、
とても不思議でもあり、
しかしそれが人生だと言って終えばそうなのかもしれないが、
このことについてはまた後日ブログに綴りたいと思う。

いずれにせよ、
サラリーマン時代は上司に「夢見るバク」と冷やかされたこの俺が、
新たに持ったテーブルシャッフルボードの野望は、
当時の新しいビジネスがうまくいくにつれとても忙しなるとともに、
その情熱も失っていたわけである。

ただ、心の片隅で、
このゲームは確かに存在し続けていた。
本当にたまにではあるが、
あのときみんなで熱く遊んだあのゲームが思い起こされたのだ。
しかしそのまま25年も過ぎたあるとき、
転機が訪れたのだ。

(つづく)

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犬と暮らしとカヤックと

kayaker

豊浦町でワンコたちと暮らし、たまに海で遊ぶ日常をつづります。

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