MENU

「八王子をどり」と「老人ホーム」

32
3

いつも私のブログにコメント書いてくれるYさんからメールが着信した。
そこには『急な話ですが、私のプール仲間が自転車に乗り転倒して入院しました。彼女が入手した「八王子をどり」のチケットが2枚、無駄になりそうなので私に話が来ました。4月19日(日)午後1時開演の舞台です。・・・』

『八王子芸者の総出の華やかな舞台を見ることが出来そうです。1枚8000円という高額舞台をプレゼントしてくれました。一緒に見に行きませんか?』とあった。
いつも私の方から八王子の取材を依頼しているので、逆の場合に断ることは出来ない。

「八王子をどり」(HPから)

八王子は私の父の実家がある場所で、大きな機屋(はたや)を経営していた。
機屋というのは「織物製造業」のことで、八王子は昔は絹織物を製造していたので「絹の町」とか、「桑都」とも言われていた。絹を吐き出すのが蚕で、その餌が「桑」なので、そう言われていたのである。

チケットを頂いた「八王子をどり」を調べてみたら、『八王子は明治期から織物の町として栄えた歴史を背景に、東京23区以外では唯一となる「花街」を育んで来ました。この花街で活躍する芸妓衆は、文化庁の「日本遺産」を構成する文化財にも認定されており、宴席での唄や踊りを通じて郷土八王子の歴史を伝える存在です』とあった。

同級生のYさんとパネルの芸妓さん達

4月19日(日)の12時30分にJR中央線の「豊田駅」で待ち合わせ、Yさんの車で八王子市芸術文化会館に向かった。
八王子にしては立派な建物で、「いちょう大ホール」で「八王子をどり」が行われた。

私達の席は前から4列目で、舞台の中央で収容人員が800名の会場は満席だった。
私の斜め前に和服を着こなした50歳くらいの良家の奥さん風の美人の女性がいて、とても気になった。舞台は午後1時から始まったが、最初に八王子市長の挨拶だった。
そしていよいよ「八王子をどり」の開演である。

 「いちょうホール」(八王子芸術文化会館)

会場入口で全員に「イヤフォン・ガイド」の機器が貸し出された。
「八王子をどり」のパンフレットには、「桑都に舞う艶姿~煌めく、をんな達~」と書いてある。第一部は清元「女車引」、出演芸妓は「葉月」、「ふく弥」、「てる葉」である。

次は長唄「藤娘」で、出演は「小太郎」である。ここで休憩が入る。
第二部は長唄「娘道成寺」で、出演芸妓は「若葉」、「すずめ」、「まゆ乃」。次に清元「女太夫」で、出演は「あやめ」だった。

その次は長唄「女伊達」で、出演は「めぐみ」。
フィナーレには新作「八王子の四季」で、全芸妓の10人が揃った。

芸妓さん達の踊り「HPから」

私は長い人生でも初めて、舞台の上の芸妓の踊りを見た。イヤフォン・ガイドがあったお陰で、舞台が良く分かった。
舞台が終り出口で、お祝いの花を小分けにしてプレゼントしてくれたのも嬉しかった。

昔は絹織物で栄えた町なので芸妓も存在し続けたのだが、当時は派手な街だったのだろう。近年は絹織物も廃れこの文化を守ろうとして「八王子をどり」を始めたそうだが、今年でまだ第四回目である。

この日はYさんに誘われて、特別に良いものを見せてもらった。
そのまま帰るのも心残りで、街中にある料亭がある「黒塀通り」で「お茶をしよう」ということになった。この辺りは日曜日のせいか大賑わいで、お茶を飲んで休める店が見付からなかった。

 黒塀通り

「黒塀通り」を歩いていたら、「八王子三業組合」という看板を見付けた。
若い人は『「三業」が「産業」の間違いではないか?』と思うだろうが、間違いではない。
三業とは「料亭」、「芸妓置屋」、「待合茶屋」の3つの商売で、これが認められた明治時代まで花街の公認区域を「三業地」と言う。

現在でも荒川区や北区には地名として残っていると思う。
黒塀通りで関係者らしい人がいたので聞いてみたら、『現在では八王子の芸妓の人数は15名』だそうだが、長く続いて欲しいと思った。

八王子は父の出身地で親戚には機屋が多かったが、今では廃業してしまい、私の父母が亡くなってからは縁も薄くなってしまった。

 「八王子をどり」に出演した芸妓さんたち(パンフレットより)

自転車事故で入院して、Yさんにチケットをくれた女性のことで思い出した。
私の女房が料理教室を主宰していた頃の話だが、助手をしてくれた女性が高齢になり助手を辞めた。2年ほどして彼女の御主人から手紙が来た。そこには驚くような話が書いてあった。

彼女は自転車で車道から歩道に上がる時に、切れ目の斜めの縁石の上を走った。
そこでバランスを崩して転倒し、頭を打って亡くなったのである。
高齢者は車の運転だけでなく、自転車も乗るのを止めたほうが良いかもしれない。

「桑都千景」(黒塀通り)

(おまけの話)
私とYさんは中高の6年間を一緒の学校に通った仲である。
Yさんの誘いで2人で同級生のXさんの入所している、老人ホームに見舞いに行くことになった。手土産を何にするか迷ったのでYさんから直接、Xさんに聞いてもらったら、「みかん」が食べたいと言ったそうだ。

「みかん」は既に時期が過ぎているので、とても困った。
スーパー、デパート、高級果物専門店などを見て廻ったたが、どこにも売っていない。
ある店でミカンに似ている「カラマンダリン」が「春のミカン」と書いてあったので、それを買って我慢してもらうことにした。

また昔からお見舞いは「カステラ」と言われているので、福砂屋のカステラも買って持参した。

 「カラマンダリン」

入所しているXさんは我々と同じ学校の同級生で、しばらく前に脳梗塞を患い言葉が不自由になってしまった。今までに2回ほどYさんと一緒に、自宅にお見舞いに行った。
奥さんは優しい人で一生懸命に老々介護を行ったが、遂に力尽きて体調不良になってしまった。そこで仕方なくYさんを老人ホームに入所させた。

ところがしばらくして奥さんも具合が悪くなり、面倒を見る人がいないので彼女もXさんと同じ高級老人ホームに入所した。でも部屋は別々だそうだ。
老人ホームに入ってまで、旦那の面倒は見られないだろう。

JR「新小岩駅」

老人ホームを訪ねた日は、あいにくの小雨だった。
「新小岩駅」からタクシーで1400円の場所にある、小ぎれいな建物が高級老人ホームだった。2人は我々を待ちわびたのか、既に玄関で待っていてくれた。

入口で手指の消毒、検温後に所員からマスクを渡される。外部の人間にはかなり厳重である。5階の彼らの部屋を見せてもらったが、他の老人ホームと同じくワンルームで特別なものはなかった。

その後、4人で1階のロビー奥のテーブルに行くと、奥さんが取り寄せてくれた特上寿司、刺身盛り合わせが置いてあった。

出前の「特上寿司」と「刺身盛り合わせ」

寿司を食べながら、昔話に花が咲いた。
Xさんは車椅子だが前回より我々の話が通じていて、質問には自分から少し答えられるようにまで回復していた。

『夫婦2人で別々の個室に入れるのは幸せですねー』と話したら、奥さんは『お父さんが頑張って働いてくれた。その後を息子が継いでくれたのが良かった』と嬉しそうだった。
Xさんは我々が来るのを指折り数えていたそうで、そんなことを言われると『行って良かった』と感じる。

2時間ほど滞在し帰ることになったら、お土産に「錦松梅」とタクシー代を渡された。
帰りのタクシーで私とYさんは、『秋になったら、また来よう』ということになった。

  廊下の右側に「個室」が並んでいる。

\ この記事をシェアする /

伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

アクセス総数
1,573,813回

コメント(3件)

  • 貴重なチケットをいただき、初めての「八王子をどり」にブロガーのH君を招待して、今朝のブログが提供されました。伝統芸能を八王子芸者衆が守り続けている姿は観る者の心を癒してくれます。力作の「八王子をどり」ブログが堪能できました。チケットを下さったK先生の早期の回復をお祈りしております。
    ご夫婦で高級感あふれるホームへ入居して、少しマヒの残るご主人を甲斐甲斐しく世話をやく奥様の姿に心温まるものを見ます。 夫婦のあるべき姿を見た思いです。
    江戸川まで遠い旅?でしたが、お二人に喜んでいただき私たちも嬉しい思い出いっぱいでした。

  • 八王子をどりや老人ホームのブログとても楽しく読ませて頂きました。当日の様子や老人ホームの様子などとても上手に書かれていて、思わず笑いながら読ませて頂きました。
    チケット無駄にするより行っていただけると嬉しいと思いYさんに声かけしたのです。
    こんな素敵なブログを読ませて頂けて感謝です。
    これからもYさんとの友情を大切にお元気で、楽しいブログを期待してます。

  • 今日の話は、人との暖かい繋がりが、いかに人生で大切かを教えてくれています。行けなくなった切符を他人に譲って、幸せの輪を広げる。旧友を訪ねると、その真摯な歓迎に感動し、またそのおもてなしに感動する。お互いが人を大切に思う気持ちのかけがえのなさがここにあります。

コメントを書く

チャコ へ返信する コメントをキャンセル


心の伊達市民 第一号TOPページに戻る