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小さな話(85)

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【アンドーナツ】
「HARUMI FLAG」の街の中にある「ららテラス」という商業施設にある、「サミット」のパン屋の話である。ここには「あんドーナツ」を売っている。
その名は「なつかしのあんドーナツ」で、価格は118円と安い。一度買って食べてみたら、昔風でとても気に入っている。

老人ホームへFさんを見舞った時は、帰りに必ず立ち寄って買ってしまう。
店の隣には休憩スペースがあり、スーパーで買った物を持ち込んで食べられるようになっている。油で揚げたアンパンであるから、いかにも体に悪そうな食べ物である。
でももう年齢から考えても、あまり「体に悪い」なんて考えない方が良いと思っている。

 「なつかしのあんドーナツ」(118円)

【ティラノサウルス・レックス】
汐留の東京BRTの停留所の下の広場では、時々、色々な催し物をやっている。
私が通り掛かったのが週末のせいか、福井県の食品展を開催していた。
食品はあまり興味が無かったが、白衣姿の恐竜が目立っていた。

恐竜は「福井県観光宣伝課長」という襷をかけていて、ベンチに一緒に坐って記念撮影が出来るようになっていた。福井県は恐竜が売りで、「日本で発見された恐竜化石の内、約8割が見付かっているそうだ。今回の観光宣伝課長は「ティラノサウルス・レックス」という恐竜だそうだが、私は子供が多くて一緒に撮影できなかった。

 「福井県観光宣伝課長」

【自動走行実証中】
東京BRTで国際展示場へ向かっている時に、信号待ちで隣に「自動走行実証中」と車体に書かれた車が停まった。家に帰ってから調べてみたら、「MONET テクノロジー」という会社がトヨタのミニバン「シエナ」をベースにした自動走行車を使い、「自動走行実証中」は無料でサービスを提供しているようだ。

現在は東京臨海副都心と豊洲の一部エリアで、乗降場所で乗車する。
予約は不要でMONETのサイトで乗降場所を指定し、GO㈱が提供すうタクシーアプリを通して配車依頼出来るらしい。

まだ完全な無人運転ではなく運転席には運転手が乗車していて、ハンドル・ブレーキの操作が常時可能な態勢で、状況に応じて手動運転に切り替えて走行するそうである。
配車依頼がもう少し簡単なら、乗ってみたかった。

 「自動走行実証中」

【どこにも行けない階段】
京橋に「アーティゾン美術館」という名の美術館がある。
ここは以前のブリヂストン美術館で、そのDNAを受け継ぎ都心にある中で親しみやすい美術館施設を目指しているそうだ。

ホームページによると『単に観賞の場を提供するだけでなく、見る、感じる、知ることにより作品の創造性を体感し、そのインスピレーションがいつか新たな時代を切り拓くきっかけとなることを願っています。アーティゾン美術館は、創造を支援し支える場として文化に貢献していくことを目指します』とある。

私が興味を持ったのは、1階のフロアである。ここにはアートを目指したのか、「どこにも行けない螺旋階段」がある。このようなアートなら、見る人がそれぞれに考えれば良いので難解ではない。

「STEPS 2024」(アーティゾン美術館)

【オブラート】
女房が昔懐かしいものを買って来た。それは「ボンタンアメ」である。
これは女房の亡くなった父の大好物で、私も結婚した頃はよくもらって食べていた。
女房の父が亡くなってからは、食べることも無くなった。
「ボンタンアメ」とは「鹿児島の飴菓子で、キャラメルに似ていてボンタンが添加されている」。

久し振りに食べて気が付いたが、オブラートに包まれている。食べ方を忘れていたが、箱の表面に次のように書かれていた。『菓子を包むオブラートは、はがさず食べられます』。
「オブラート」なんて単語は、今は通用しないのでは?

しかし私はそれを読む前に一生懸命にオブラートを剥がしていたが、その必要も無かったのだ。「忘却とは忘れ去ることなり」。

 「ボンタンアメ」

【お国柄】
少し前のブログでYさんがトイレにスマホを置き忘れた話で、私は10年以上も前のベトナムでの経験を思い出した。私はホーチミン市で日本語学校の生徒と一緒に喫茶店に入り、帰りに携帯電話を席に置き忘れてしまった。

翌日になり1人の生徒から私に連絡があった。
『携帯電話を拾った男がアドレス帳から私に電話をして来て、その持ち主が日本人と分り、金を払えば返すと言っています』。
私は学校の親しい女性の先生に事情を話し、『金は払わない。携帯電話は要らないと言ってくれ』と伝えた。

先生は男に電話をして、『そんなことをしたらベトナムの評判を落とす。すぐ返しなさい』と言ったそうだ。そして後日、携帯電話は私の手元に戻ったのである。
その頃はベトナムでは3000円くらいで、携帯電話を買えた時代だった。
この話で外国と日本の民度の違いを感じて、「日本はいい国だなー」と思ったのである。

(おまけの話)【ベトナムからやって来たハンさん】
11月初旬にベトナムのハンさんからメールが入った。
『ビザが取れれば12月に東京に働きに行くので、社長に会いたい』と書いてあった。
私はもう社長を卒業して23年も経つのに、いまだにハンさんは私に「社長」と言うのである。

ハンさんはホーチミン市からやって来て、私の会社で研修生として3年間働いた男だ。
なかなか頭が良く理解度が高く、日本語もかなり早く出来るようになった。
12月15日になり、『いま東京に来ている。明後日に池袋で会いたい』と連絡して来た。
そして彼に指定された池袋駅の「みどりの窓口」前に、17日午前11時に待ち合わせた。

 「みどりの窓口」(池袋駅)

JR池袋駅地下の「みどりの窓口で待ち合わせたが、彼は既に来て待っていた。
「みどりの窓口」前には驚くことに、懐かしい人が一緒に待っていた。
その人はSさんと言い、昔の私の会社の取引先の社長だった。

話を聞いたら彼は現在は80歳だが、まだまだ元気で社長を続けている。
とりあえずランチをしてから、喫茶店に移動した。
ハンさんはS社長の紹介で工事会社で3年間働くそうで、この日は健康保険の手続きをするために一緒に来たようだ。

S社長とハンさん

私はハンさんとは25年間の付き合いで、ベトナムでも何回か会っている。
S社長とは同じ業界の取引先で、今日まで50年近くの付き合いである。
彼が社長を続けているのは、私に関係があるそうだ。

以前に私が言ったことを実行しているのだそうだ。
それは『朝起きて、「今日はなにをしようか?」となるなら、現役を続けた方が良い』だった。昔話に花が咲き、業界の現況を聞き、一瞬だが昔に引き戻された。

人生の残り時間が少なくなると昔話がなによりのご馳走で、なんでもみんな美しくなるのである。良い時代を一緒に過ごした仲間なので、彼にはいつまでも元気で頑張って欲しいと思った。

 お土産の「ベトナム・コーヒー」

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伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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コメント(3件)

  • 携帯電話をトイレに忘れて慌てた話をブログに書かれてしまったが、今度はカードを店頭の読み取り機に刺したまま忘れてしまった。携帯電話は、パスコードで使用が出来ないようになっているがその中のいりいろなデーターが無くなるのが怖い。カードを忘れて慌てたが、これも暗証番号で利用が制限されるが、少額の利用には無制限であるからこれも怖い。便利なものを持つことは、大きなリスクを持つことでもある。歳を取って注意が散漫になり慌てる事が増えた。それでも日本人の誠実さに救われている。有難いことです。

  • ヴェトナムの交差点の動画ですが、ただただ驚きです。この2分間にあらゆる方向で車やリヤカーや人が行きかって、しかも衝突がないのを見ると、虫や動物の群れが、大自然の中で、自然の秩序を身につけて行動しているかのようです。とても貴重なヴィデオでした。

  • 私が滞在していた時も、衝突事故は頻繁に起きていました。

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