日本橋でランチにしようと思ったら、どこの店もサラリーマンが並んでいる。
仕方ないので地下鉄で1駅の「宝町」で降りて、喜多方ラーメンを食べることにした。
ところがここも大勢のサラリーマンが並んでいるので、この日は水曜日だったので「もしや?」と思い、「宝くじドリーム館」へ行ってみた。
すると予想通り館内でイベントをやっていた。どうやら歌謡ショーのようだった。
幸いに係員が後ろのドアから中に案内してくれた。既に開始して10分ほど経っていたが、4人の演歌歌手が登場した。
トリの松原のぶえ以外は知らない名前の歌手と、聞いたことの無い演歌だったが楽しめた。でも演歌って、どうしてみんな同じような旋律なんだろう?

演歌を聞いた後に喜多方ラーメンを食べて、有楽町駅まで都バスに乗るために歩いて行くことにした。地下鉄浅草線「宝町駅」のそばに「国立映画アーカイブ」がある。
ここには常設展示室と映画館があり入館料は一般は250円だが、65歳以上は無料である。古い日本映画を見られるが、これは一般は650円、65歳以上は310円である。
資料によると『収集活動の1つの柱であるノンフィルム資料は、年を追うごとに充実の度を深めています。現在では58,000枚のポスター、705,000枚のスチル写真、46,000冊の映画図書があります』とある。
私は何度か見ているが、この日は特別展ではないのでパスした。

「国立映画アーカイブ」の前を通り過ぎて進むと、京橋交差点に出る。
交差点を渡った左側は「京橋スクエアガーデン」である。
地下に降りると広場になっていて、そこに大きなクリスマス・ツリーが飾ってあった。
しかしなにか変だ。ツリーが見慣れた飾りではなく、A4サイズのプラスチック板が大量に飾り付けられている。
作者は「MAO KOKUBU」で、『フォトアクリルを使い「透明感とは何か」という問いを、視覚的に表現する展示をオーナメントとして行いました』という解説があった。私はアーチストも大変だなーと思う。他の人となにか違いを出さなければならず、それがアートが難解になってしまう原因なのかもしれない。

京橋スクエアガーデンの1階にはギャラリーがある。
ここは無料で見学でき、しかもあまり難解なアートは展示されない。
今回は「Shifting Visions」というタイトルであるが、アーチスト6名の作品を展示してあったがなぜか作品名は無い。
その中から私が気に入った3名のアーチストの作品を紹介する。作品の下にあるQRコードを読み込むと、価格が出て来る。
1人目は香港のアーチストの「BS.M Billy」で、彼は次のように述べている。
『個人的な次元において、ネオンは事故のアイデンティティそのものです。それは私の存在の不可欠な断片であり、失われてゆく古き香港の風景へと続く光の架け橋。過去の輝きを、現在の私の中に留める手法なのです』。

アーチスト「岡崎 実央」の思い。
『高校時代にプロレスの沼にはまり、大学卒業後は2021年まで週刊プロレスの記者として、取材やアート企画を担当し、同誌40周年の企画で記念Tシャツをデザインした。プロレスや格闘技は、リングを中心に360度を観客が囲んでおり、席によって見え方が異なる。・・・』
『それぞれの席・視点には、闘いの美しさや迫力があり、その多様な視点をキュビズムの画法で表現することで、写真や映像では伝えられないプロレスや格闘技の魅力を描きだす。ピカソやブラックなどに代表されるキュビズムは、様々な角度から見た対象の形を一つの画面に収める古くからある技法だが、そこにプロレスを掛け合わせ、時に歓声や音も描きこみ、プロレスへの愛を画面全体に描きこむ』。

アーチスト「浦山 直樹」の思い。
『幼少期より日本の漫画やアニメに見られる自由な誇張表現、特に鳥山明(Akira Toriyama 1955-2024)の冒険心に満ちた世界観や、キャラクターをディフォルメする手法からも大きな影響を受けると同時に西洋絵画のアルブレヒト・デューラー(Albrecht Durer 1471-1528)の構図や質感表現に影響を受ける。・・・』
『リアリズムとディフォルメといったこれら異なる要素を融合させる独自の視点を活かし動物を擬人化するアプローチによって動物が持つ力強さや美しさ、生きるということを表現した制作を行い、鑑賞者に「生命賛歌」日常生活で見過ごされそうな生命の美しさや儚さに気づき、心の癒しを感じてもらえることを願っている』。

京橋スクエアガーデンを裏に抜けたら、キッチンカーが3台出ていた。
手前のキッチンカーを覗いてみたら、アジア系の多国籍メニューだった。
車体には大きなパスターが貼られていて、「3800店の中から、美味しいキッチンカーブロンズ賞(3位)に選ばれました」と自慢していた。
現在はキッチンカーと洒落た名前であるが、昔は屋台のラーメン屋を「チャルメラ」と言い不衛生と思っていた。
チャルメラとは店主のお客を呼ぶ吹く笛の音から、「チャルメラ」と名付けられたそうだ。更にチャルメラを調べたら、「ポルトガル語のCharamera」が語源のリード笛だった。
美味しい食はアートかもしれない。

(おまけの話)【東京ビエンナーレ】
「東京ビエンナーレ」というイベントが東京各地で開催中と知り、近場の日本橋へ行ってみた。「ビエンナーレ」という言葉はイタリア語で「2年に一度」と言う意味だそうだ。
ホームページで確認すると、このイベントは『東京のまちに国内外から多様なアーチストやクリエーターが集結し、まちに深く入り込み、地域の方々と一緒に作り上げて行く、2年に1度の国際芸術祭です』とあった。
期待できそうな文章だし、場所も日本橋なら素晴らしいアートに出会える思った。
作品のある場所が示された地図を、新しく買ったプリンターで印刷して持参した。

作品の置かれた場所は中央通りに面した三越デパートの向い側の道を入り、右手の細い路地と福徳神社の横の「福徳の森」にある。
路地の名前がお洒落である。「えびす横丁」、「弁財天横丁」、「毘沙門天横丁」、「布袋尊横丁」などである。
作品はなぜか植木が多い。植木はアートか?
鉄の四角の棒の上に菜箸を並べ、それが風で揺れるアート、3つの塵取りの竹箒のアート、小さな池の中で合掌する両手のアートなどがアートと称している。
地図には写真と作者の思いが書かれていrが、文字が小さ過ぎて良く見えない。
家に帰ってルーペで見たら作者の言葉は見えたが、その意味がよく分からなかった。

作品は全部で11あるが、私は10しか見付けられなかった。アートは評価が難しい。
アーティストが制作すればアートだと思うが、見る人が判定してはいけないのだろうか?
今回の日本橋で見た「東京ビエンナーレ」の作品は、私にはアートとは思えなかった。
作品を探して歩き廻った時に、ビエンナーレとは関係ない街のパブリックアートの方が「アートだ!」と感じた。それが下の写真の中の、下の2枚である。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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今年もいよいよ最終回を迎えた。一年間のブログ発信お疲れ様でした。「都心を歩かない会」の企画・立案・催行の幹事役をありがとう! 三多摩に住む田舎者が変わり行く都心を歩かずに知る一助にこのブログが役立っている。芸術とは縁のない生活にもブログから知る芸術とは?の問い掛けに何時も頭が空回りしていた。今年最後のブログに掲載された芸術とは? これにも苦労している。最後まで私の頭を空転させたブログと芸術とは?に年の瀬の忘年としよう!! よいお年をお迎えください。
日本橋、宝町、京橋、とわりに近い界隈をそぞろ歩くだけで、これだけたくさんのアートや刺激を、ほぼ入場料無料で満喫できる、しかも四季折々いろいろな展示を楽しめるのですから、幸せだ―!と叫んでいいと思います。どうか良いお年を!
今年もおつかれさまでした。来年もしぶとくいきましょう!