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写真で見る東京(116)・・・靖国神社の例大祭

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【靖国神社・秋の例大祭】
靖国神社で今年も「秋の例大祭」が行われた。
私は幸いに戦死した親族がいないのだが、毎年、恒例となっているので見に行った。
例大祭は10月17日(金)~19日(日)の3日間行われたが、この日は固定されていて毎年同じ日に開催される。

いつもは天皇陛下の勅使が参向する2日目の当日祭の日に行っていたが、今回は初日に行ってみた。九段下駅から外へ出ると、「当日祭」の日と様子がまるで違う。
色々な団体が列をなし、色々な主張の紙を渡す人が誰もいないのである。
普段の日と変わらない光景だった。

九段下から靖国神社へ向かう

信号を渡り大鳥居に向かう。
右側の「靖国神社」と書かれた石柱の周りは、柵が出来て近づけない。
昨年6月にバカな中国人がこの上に乗り、小便をするしぐさをした後に、赤いスプレーで「トイレ」と書く動画が拡散したからだ。

参道を歩く人を見ると、意外だが欧米系外国人が多くいる。
当日祭の日ではないので、日本人は少ない。

大鳥居(靖国神社)

大鳥居までは、なだらかな上り坂である。
そこを過ぎると参道は平らになり、歩き易くなる。
参道の両側には大きな石灯籠が立っている。「危険」の札が貼ってある。
その後ろには銀杏並木が続く。

 石灯籠(靖国神社参道)

この辺りを歩いて行くと、甘酸っぱい香りが漂っている。
地面には大量のギンナンが落ちている。

以前の私なら拾って帰ったところだが、いまは女房が『ギンナンを拾って来ないで!』と言うので止めている。今年は靖国神社のギンナンは豊作のようだ。
少し前に行った「日比谷公園」では不作だった。

 参道脇にはギンナンが・・・。

更に進むと参道の中央に大きな銅像が見える。
この銅像の人は「大村益次郎」で、「日本陸軍の父」と言われ、司馬遼太郎作「花神」の主人公にもなった男だ。

本名は「村田蔵六」で、長州藩の出身で蘭学に優れ、維新政府に参画して、近代的軍隊の基礎を作った。また靖国神社の前身である「招魂社」を九段坂上に建立することを決定した。ところが大村に反感を持つ士族らに京都で襲われて重傷を負い、招魂社創建直後の明治2年、大阪で没した。享年47歳だった。

大村益次郎像(参道中央)

更に進み「神門」に至る。
神門の両側には写真屋が待ち構えていて記念撮影を提供しているが、私は撮影を依頼している人を見たことが無い。神門を通り抜けると、左側奥に社務所が見える。

社務所に続いて「斎館」があり、天皇の勅使はここで休んだ後に神官に案内されて拝殿に向かうのである。これがなかなか絵になるので、例年の私は当日祭の日に来て、写真を撮っている。中門鳥居から先は「撮影禁止」となっているので、お参りだけする。

 「正式参拝入口」(参集殿)

中門鳥居の手前を右に行くと、左手が「参集殿」である。
正式参拝をする時は、ここから中に入り拝殿で待つ。その後、神官に案内されて本殿に向かうのである。

令和6年から正式参拝玉串料は、2000円から5000円に値上りした。
新聞やテレビでは自民党の総裁が「正式参拝」するかどうか、毎年のように報道している。

今年は『自民党の高市総裁は17日午前、秋季例大祭に合わせ党総裁として私費で玉串料を奉納した。19日までの例大祭期間中、参拝は見送る方向で、有村総務会長が代理で参拝し玉串料を納めた』と報道していた。私からすれば、「どうでもいい話」だ。

「正式参拝入口」(参集殿)

(おまけの話)
【菊花展】
秋の例大祭に合わせて、毎年、「菊花展」が開催される。
今年も開催されたが、例年と違い寂しい限りだ。

その理由だが、私の想像では『夏の暑さの影響で、例大祭の日に菊の花が咲かなかった』のではないだろうか? 展示されている菊の花も少なく、花は蕾が多かった。
これでは主催者側も「菊花展」とは言い難いだろう。

 「菊花展」では、菊はまだ蕾

【能楽堂】
「菊花展」の向かい側は「能楽堂」である。
その横には桜の木があり、その木が東京の「開花宣言」の標準木なのである。
時間も十分にあるので拝殿でお参りをした後に神楽殿に行き、舞台上で行われる演芸を見た。日本舞踊に続き、日本琵琶の演奏があった。私は実演で見る琵琶は初めてだった。

資料では『琵琶は7~8世紀頃、中国大陸から日本に入った。正倉院の宝物として伝来当時の琵琶が遺されている。半開の扇もしくはイチョウの葉の形に似たバチで弦を弾奏するのが特徴。 五弦琵琶、楽琵琶、平家琵琶、盲僧琵琶、唐琵琶、薩摩琵琶、筑前琵琶などの種類がある』。

初めて見た琵琶は演者が演奏しながら語るのだった。
もっと色々と見たかったが、直射日光に当てられて、もう無理だった。

 琵琶の演奏(能楽堂)

【遊就館】
更に奥に進むと「遊就館」という戦争に関する博物館がある。
いまは「大東亜戦争終結80年を記念して、特別展として各戦域の今を伝える写真展」を開催していた。

説明では『戦後80年の間、日本人はかっての戦地を訪れ、戦没者へ様々な異例活動を行ってきました。本特別展では東部ニューギニア、ガナルカナル島、フィリピン、硫黄島というったかっての激戦地での現在の様子を伝える写真、そして各戦域で亡くなられた英霊のご遺品などを展示します』とあった。

私は戦中派のせいか、生々しい戦争の遺品などに触れるのを好まないので、ここはパスしたのである。

 「零戦」(遊就館)

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伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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コメント(1件)

  • 私の近い親族の中に戦死者はおりませんが、日本人である当たり前の感情として姿勢を正す気持ちになります。中国人の蛮行を聞くにつれ「アホ民族の中国人」と「中国人」すべてを蔑視してしまいます。京都にある竹林にいたずら書きをした観光客が隣の国「韓国」であるのも悲しいし、残念でもあります。何故か近隣諸国の民度の低さを嘆いております。日本人がバカにされているようですね。

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