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高級老人ホーム訪問記

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【高級老人ホーム訪問記】
同じマンションの友人のIさんからメールが届いた。
『Xさんが土曜日に晴海の老人ホームに入所したらしい』
そんなIさんは少し前に鼻の奥に悪性腫瘍が出来て、長時間の手術で摘出した。

その後、毎日、放射線治療のために7週間、病院へ通っている男だ。
彼は胃がんにもなったし、両手首を骨折したり、肺炎で入院したりと病気の権威である。
でも幸いに認知症にはなっていない。

「HARUMI FLAG」の町並み

月曜日になり、私は老人ホームにいるXさんに電話をしてみた。
Xさんは言った。『私はなぜここにいるの? 来てくれないか?』
そこで私は午後から晴海フラッグの中にある、高級有料老人ホームに出掛けて行った。
受付で「氏名・電話番号・訪問先名」などを記入すると、ゲスト用にカードキーを渡される。

Xさんの部屋は2階なので、エレベーターホールでボタンを押したが反応が無い。
係の人が飛んで来て、『このセンサーにカードキーを当てないと、エレベーターは来ません。乗ったら、またセンサーにカードキーを当てて、行先ボタンを押して下さい』と言った。

 高級老人ホームの1階の待合室

2階のナースステーションに行ったら、Xさんの部屋を教えてくれた。
長い廊下の両側に個室が並んでいる。エレベーターからすぐ近くがXさんの部屋だった。
部屋のドアは引き戸で、鍵は付いていない。

ドアを開けて中に入ると、ワンルームであった。
彼はパソコンに向かって、麻雀ゲームをして遊んでいた。
私に椅子に座るように言って、自分はベッドに腰かけた。

2階に並ぶ個室の廊下

そして挨拶も無く、彼は待ちかねたように私に質問をした。
Xさん『私はなぜここにいるの?』
私  『1人での生活が難しくなったので、息子さんがここに住むように手配した。あなたも少し前にここの係の人が自宅に来た時に、話を聞いていますよ』

Xさん『そんなことは初めて聞いた。それで、いつまでここにいればいいの?』
私  『もうズーとここで生活するのです』

 Xさんの個室入口の表札

Xさん『食堂へ行って、コーヒーを飲もう』
私  『いいですねー』
Xサン『財布が無い』
私  『大丈夫です。私が払います』

そして2人で食堂に行ってみたら、係の女性が『ゲストを含めて飲み物は無料』と言われた。私がXさんに代わり女性に質問をしたら支配人が出て来て、私だけ少し離れた場所に案内されて、そこで話をした。

Xさんの個室内部

そして支配人は私に色々と説明してくれた。
支配人『お金はこの中では必要ない。入所者が盗った、盗られたを避けるためです。もしどうしても必要な場合は、施設で立て替えておく。勝手に外へ出て行方不明になると困るので、エレベーターのカードキーは入所者には渡していない』

『自身で行っている人工透析は、以前の病院の医師とも話してある。時間になったら、やるように言う。洗濯・整髪は定期的に案内して、こちらで担当がする。息子さんには詳しく話してあるので、息子さんは分かっている』と言っていた。

Xさんは記憶力がほぼ無くなっているので、少し前のことも覚えていない。

 2階の食堂

その時、Xさんの近くのテーブルでおバアサンが椅子から転落した。
突然のことで大騒ぎになった。おバアサンは倒れたままだ。
係の女性が3人くらいで介抱している。
その内になんとか起き上がらせて、椅子に座らせた。おバアサンは大丈夫のようだった。

またXさんが私に聞いた。『私はなぜここにいるの?』
私はまた同じことを説明した。そして『息子さんとよく話をして下さい』と言った。
1時間以上もそこにいたら、とても疲れてしまった。

Xさんには気の毒だが、それで帰ることにした。
彼は寂しそうにエレベーターに乗る私を見ていた。

 食堂のテーブルのXさん

(おまけの話)
有吉佐和子が小説「恍惚の人」を発表したのは1972年で、世間にいまで言う「認知症」を知らせた衝撃作だった。
私がリタイアした時に、なにか世の中のお役に立ちたいと思い、近くの老人施設で募集していた「話相手」に応募した。

1週間に1度、施設に出向いて老人の話し相手になるのである。
ところが私は簡単に考えていた。1回目は良かったが、2回目に行ったら同じ人に同じ質問を延々とされた。3回目も同じことが起き、私は耐え切れずに止めてしまった経験がある。

 「百日紅」(赤)

ゴルフ場の閉鎖で伊達市の滞在が叶わなくなった翌年に、私は知り合った人(Aさん)の勤務先の「そうべつ温泉病院」に興味本位で1泊のお試しをしたことがある。
Aさんの案内で病院内を見学し、入所者と同じ部屋に泊まるつもりでいた。

ところがAさんが気をきかしてしまい、ゲストルームに宿泊となった。食事も病院食でなく、伊達市の「文七」から寿司をとってくれた。温泉だけは病院の風呂に入ったが、高齢者用なのでパイプがあったりして、「ゆっくり温泉」という気分にはならなかった。

翌日の朝食だけは入所者と一緒に食べたが、誰もなにも話さず靜か過ぎ、私には老人ホームは無理だと感じた経験だった。

「百日紅」(白)

このマンションに越して来てからも、私の興味本位は失われなかった。
中央区の政策の中に「補助金バス旅行」というものがあるのを知った。
その条件は「30人以上の団体で、どこか1ヶ所の老人ホームを訪問すればバス代を全額補助」であった。

そこで私は色々な伝手を頼ってマンション内で30人以上の高齢者を集め、「房総半島の菜の花」と「山梨のブドウ刈り」の2回を計画した。
訪問先の施設を探し予約をした。その時に私が選んだのはKさんで、施設には次のように伝えた。『いまKさんが入所先を探して、色々と見て廻っている』。

バス旅行の参加費用は弁当代だけなので、1000円くらいだった。みんな喜んだが、私は人数集め、訪問先選定、区役所に提出する書類作成などが大変で、2回だけで終りにした。

 「アベリア」

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伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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コメント(1件)

  • 認知症の話は自分の事として身につまされる。遺伝因子に含まれているのかは知らないが、母親が80歳で今でいう「認知症」になった。その頃は認知症が病の一つであることを知らなかったから、毎日が喧嘩、喧嘩の連続であった。薬缶をガス火に掛けてそのまま放置して危うく火事になりかけた事が度々ありその事がきっかっけで施設へ入ってもらった。帰宅願望の強い人であったから入所を最後まで拒否していた。その時のことを思い出すと自分が認知症になったらと恐ろしくなる。

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