以前の住まいの近くには大きな川が無かった。大きな川である多摩川は電車に乗らないと行けない。住まいは「小金井」で、その地名は「黄金の水が湧き出る井戸が多くある」ことに由来している。
だから水に縁はあったのだが、それは飲み水のことで船が通れる川ではなかった。
ところがたまたま勝どきに越して来たら、私の周りは隅田川や水路ばかりとなったのである。窓から見える三方向に、隅田川、朝潮運河、そこを繋ぐ水路が見える。

船は飛行機や自動車と違って、ゆっくり進むのが良い。
飛行機や自動車はアッという間に私の前を通り過ぎてしまうので、見る楽しみを与えてくれない。20代の頃だが、友人に誘われて「小型船舶操縦士」の免許を取った。
江戸川まで何日か通って、座学と実技を習い、そして試験に合格した。
しかし油壷辺りに船に乗りに行くには家から2時間以上も掛かる。
船に乗っている時間より港に行くまでの時間の方が長いので、この趣味はバカバカしくて止めてしまった。
隅田川を行き来する船には色々ある。巨大なシャベルを積んだ船は、川底を浚うのだろうか?みんな川の上でも仕事をしている。
陸上だけで仕事をして来た私には、それがとても新鮮に感じた。
昔の江戸時代と違い、隅田川を利用して物品を運んでいる船は見ない。
多くが定期観光船で、浅草から日の出桟橋・お台場・豊洲などに行くようだ。反対方向もある。暗くなると屋形船が通って行く。お台場辺りまで行、そこで停泊して「天ぷら」などの料理を食べるのである。

家から歩いて数分の「築地大橋」の上で待ち構えると、次々と船がやって来る。
漫画家の松本零士の奇抜なデザインの「ヒミコ」、「ホタルナ」、「エメラルダス」などは見ている私がワクワクする。
週末にはプレジャーボートや、水上バイクが現れる。猛スピードで駆け抜けて行くが、速度違反ではないか? たまに水上清掃船がやって来る。黄色い四角い船で、船首部分でゴミを掬い上げて後部の収集場所に送る。
この船があるから、川が綺麗に保たれているのである。
勝鬨橋を通過して築地大橋に向かって来る船も、飽きずに私は見続けている。
隅田川はアチコチで、岸辺の整備を行っている。
最近の10年で見違えるほど、岸辺が整備されたのを私は見て来た。
現在もまだ川の両側に遊歩道を作る工事をしているが、東京都が管理しているようだ。
水質はかなり良くなったようで、勝どき辺りは海に近いので黒鯛などが釣れている。
でも泳げるほどには綺麗ではない。

隅田川は「どこから、どこまでか?」と知りたくなり、ネットで調べてみた。
すると『隅田川は上流を荒川とし、荒川の下流(東京都北区岩淵地点)で隅田川として分かれ、東京の街の中を蛇行して東京湾に流れます。よって水源は荒川と同じで、起点は岩淵水門とし、長さは23.5キロメートルです』とあった。
私がここへ越して来たばかりの時に、1人で隅田川を歩いて遡ったことがあった。
確か3回くらいに分けて歩いたが、そういえば荒川放水路との分岐点があった。あの場所が「岩淵水門」だったのだ。
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(おまけの話)
中高の同級生で作っている「都心を歩かない会」の9月のイベントは、「隅田川を下る」だった。この会が始まった時はみんな元気で、多摩川を「奥多摩から羽田」まで何回かに分けて歩いたり、多摩川上水を「羽村から新宿御苑」まで歩いたり、「大江戸線一周」も歩いた。
ところがみんな一緒に年を取るので、段々と無理が効かないようになり「都心を歩かない会」に成り下がってしまった。今回は2人の都合が悪くなり5人が新橋駅に集合した。
みんなの希望を入れて、今回のイベントの最大の目的は「隅田川を船で下る」ことである。この日はとても気温が低く、また涼しく、最高のイベント日となった。
ランチは汐留の私の贔屓の「うどん屋」の予定だったが、サンマの話題が出ている時なので「サンマ」となった。そこでサラリーマンのランチの聖地である駅前の「ニュー新橋ビル」地下1階で、新サンマ定食(750円)を食べた。
食後は都営浅草線で浅草へ出た。地下鉄は混雑していて、外国人観光客だらけだ。
最初に日本最古の浅草地下街に行った。ここは役所広司が主演した映画「パーフェクトデイズ」にも登場した場所だ。
定期観光船の出発時間まで各自が好きに過ごし、午後2時20分発の「日の出桟橋行き」に乗った。
ここでも外国人観光客だらけだった。Yさんが言った。『浅草は外国みたいだ』

我々の乗った船はかなり古い船で、船名は「竜馬」である。
エンジン音が大きくうるさい。途中で壊れるのではないかと思うような音を出して進む。
浅草を出ると船は最初に吾妻橋をくぐり、隅田川の14の橋の下を通る。
最後は築地大橋であるが、いつも橋の上から見ている私は橋の下を初めて通過した。
左手には私の住むマンション、右手には浜離宮恩賜庭園が見える。
船はしばらく休止していた浜離宮の桟橋に着岸した。
ここで大勢の外国人観光客が下船した。
その後、船は日の出桟橋に着き、我々はそこから「ゆりかもめ」に乗り、新橋で解散となったのである。良い1日だった。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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「都心を歩かない会」になり下がったもとを作った私だが、この会だけは如何なる予定も変更して参加している。中高時代の気の置けない仲間たちを大事にしたいと常に考えているからである。年金生活者に優しいリーズナブル費用を気にして企画を立てる主催者に感謝している。
今年初めてのサンマが美味かった!