ブログ閉鎖中の話題(2015年10月1日)
私がベトナムのホーチミン市に滞在していた時から、早いもので2年が経った。
滞在中の私は時間を見つけては顧問先の会社が経営している日本語学校で、できるだけ日本語の先生役をしていた。その時に30人近くのベトナム人の先生に出会った。

生徒達は日本へ実習生として行くために日本語を勉強している。
しかし彼ら・彼女達に日本語を教えている先生が日本に行ったことは無いし、行くチャンスも無い。私達の中学時代の英語の先生のようなものと考えてもらえばよい。
だから彼女達が非常に不満で、なんとか日本へ行きたいと考えているのである。

そして遂にその中の3人(女性2人、男性1人)の先生が学校を辞めて、借金をして名古屋の日本語学校に留学して来た。そうでもしないと日本のビザが下りないのである。
そこまで至るには色々とあり、私も大いに協力したが、今回はその話は省く。

その3人が2泊3日の計画で東京観光にやって来た。
なにしろお金が無いのであるから、来るのは夜行バスで、泊るのはカプセル・ホテルである。当時、日本語学校にいた日本人の男の先生が出迎えて、彼女達を連れて来た。
オノボリサンの定番である、「三越デパートのライオン像の前」で4人に会う約束をした。

ところが最初から躓いた。
引率して来た日本人の先生が田舎者で、銀座でなく日本橋の三越に行ってしまった。
電話でやりとりをして、やっと15分の遅れで出会うことが出来て、私が予約しておいた中華料理店「過門香」に4人を案内する。

食後は「皇居」~「歌舞伎座」~「築地本願寺」~「築地市場」~「隅田川テラス」、そして我が家に案内した。日本人の先生は家には来ないで先に帰った。
彼女達は「ベトナムでは8階以上のビルに登ったことはない」と言っていた。

留学生のTさんに聞いてみた。
私 「日本に来て、なにが一番驚いた?」
Tさん 「空が綺麗です。町でも工場のあるところでも、空気が綺麗で驚きました」
私 「他には?」
Tさん 「食べ物が安全です。品物は偽物が無いので安心して買えます」
そして3人とも共通して、「ベトナムには帰りたくない。日本で仕事を探したい」と言っていた。そんな素晴らしい国に私達は住んでいるのを忘れてはいないだろうか?
私からのアドバイスを守って、彼女達が成功してくれることを願う。
でも、その姿を見る頃には私はもう居ない。

(おまけの話)
私は日本に来ている数人のベトナム人実習生の面倒を見ている。
主にメールでの日本語の指導と、相談への回答である。
そんな中で愛媛県に来ているUさん(女性)からメールが来て、「12月に3泊4日で東京に行きます」と連絡して来た。

そこで私は東京での計画表を作成して送ってあげたら、下記のメールが来た。
「先生の予定表を読んだらすぐに東京観光したいです。観光中の時に写真をいっぱい撮るはずです。予定表によるとよく徒歩するそうですね。スニーカーを3足を持っていますから大丈夫です。東京での食事代、交通費は先生が出してあげます。嬉しいです。会社の製品をいっぱい持って来ます」。

私の返信メールに、また返信メールが来た。
「計画は少し変ります。東京から京都まで新幹線で行きたいです。料金は高いですが、一度乗りたいです」。
本来は京都までは料金の安い夜行バスで行く予定だったようだが、東京ではマンションのゲストルームに宿泊させるので滞在費が掛からないことを知り、憧れの新幹線に乗ることに変更したようだ。
私のささやかな援助が、将来の日本の若者に返ってくれば嬉しいのだが・・・・。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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ベトナムの若者には「夢」がある。未来への「夢」を語れるのは将来が明るい。10年前の日本の若者には「夢」があったのだろうか?現状に満足しきってしまい、「夢」を語る事を忘れてしまっているような気かする。政治不信がその最たるものであろうが、今日は自民党の総裁を選ぶ日であるが、若者の関心が今一つ盛り上がってこないのが残念である。「夢」を語ろう!
この記事は丁度10年前の事ですね。彼らが今、どんな生活をしているのか、是非知りたいと思いました。