テレビ番組で、時々、小さな特集でなぜか八王子が登場する。
番組の担当者が八王子に住んでいるのではないかと想像している。
今回は「松牛」の「1000円ステーキ丼」を放送していたので、私は父母のお墓参りを兼ねて八王子に行くことにした。
いつも八王子の取材は八王子の隣駅の「豊田駅」に住むYさんにお願いしているので、今回も同行してもらうことにした。
久し振りに中央線に乗ったので、武蔵小金井駅の少し前で元の我が家を見てみた。
3軒もの建売住宅が建ち、向かい側は月極め駐車場になっているのは変りはなかった。

午前11時に豊田駅南口でYさんと待ち合わせ彼の車で八王子を徘徊することになったが、我が家からは1時間半も掛かり遠かった。
今回のコースは「豊田駅」→「桑都の森」→「お墓参り」→「松牛でステーキ丼」→「イオンでお茶」→「豊田駅で解散」である。
八王子は私の父の生まれ育った町で、実家は大きな「機屋(はたや)」を経営していた。
「機屋」というのは「織物工場」で、山梨県辺りから女工を集めて織物を製造していて、かなり裕福な家だった。
男の子たちは親の援助で次々と機屋になったが、私の父は変わり者で『その分を現金でくれ』と言い、その金でブラジルに渡った。その後、色々あり、祖父の危篤の報で帰国となったが、金が全く無く横浜港に着払いで帰って来たのである。

展示品の「織機」(桑都の森)八王子駅からそう遠くない場所に、立派な建物の「桑都の森」があった。
「桑都の森」という名前の由来は資料によれば、『古くから桑都と呼ばれるほど、絹産業で大いに栄えた町。この歴史を受け継ぐ「桑都の森」のシンボルとなるロゴマークが完成しました。・・・』
『絹織物には欠かせないお蚕の繭をモチーフとして採用。世界中に多種多様な色や形が存在する繭のように「さまざまな人が集い、それぞれが自分らしく過ごせる場であって欲しい」という願いを込め、8つの繭を輪のように配置することで、「人々のつながり」を表現しました』。
しかしこれでは若い人には「桑都」の意味が分からない。
私が解説するが、その意味は『お蚕(かいこ)の餌が桑の葉』だからである。その影響か、私も子供の頃は家で「お蚕」を飼っていた覚えがある。

建物に入ってみたら、ここは巨大な図書館だった。
私はYさんに聞いてみた。『この場所は以前はなにがあったの?』。 その答えに驚いた。
Yさん『この場所はかなり前だが「八王子医療刑務所」のあった場所だった』。
別棟にはもう少し小さな建物があり、そこをガラス越しに覗いてみたら立派な能舞台があった。八王子は織物産業の衰退で財政も厳しいのではないかと思っていたが、どうもそうでもないらしい。

次に第一の目的である「松牛」に行った。
「松牛」を調べたら、牛丼の松屋の別ブランドのようだった。
店に入り券売機で「ラウンドステーキ丼」(1000円)と「コーンスープ」(150円)を買った。
券の番号で呼び出されて、自分でカウンターに料理を取りに行く。
ステーキは牛丼の肉とは違い美味しかったが、値段のせいかお客は少なかった。
店を出たところで、Yさんが私に言った。『店に鞄を忘れていないか?』。
私は慌てて店に戻ったが、最近はこんなミスが増えて来た。

車を父の実家の前のコインパーキングに停めた。
そして「松牛」で「ラウンドステーキ丼」を食べて、駐車場に戻った。
Yさんが精算機で料金を支払っているのを、私は遠くで見ていた。
支払いを終えて車のところに戻ったYさんが、『あれー!車止めが上がっていない』と言った。その時、私は反対側にもう1台の精算機があるのに気が付いた。
なんとYさんは自分が停めた駐車場ではなく、隣の駐車場の精算機に料金を入れてしまったのだった。しかし駐車場は隣との仕切りが無いし料金も高い。
なんか騙されたような気分になった。

気分を変えて、新しくオープンした「イオン八王子滝山」に行ってみた。
しかしここは我々が考えているイオンと違い、食品もフードコートも無い。
広い1階は全てスポーツ用品で、2階はケーキ屋と、ケーキ製造を見学できるコースであった。3階は映画館で、休むつもりで行ったのに期待外れだった。
仕方ないのでYさんの行き付けの豊田駅近くの「イオンモール多摩平の森」に行き、フードコートで「アンパン」と「コーヒー」で休み、しばらく歓談をしてから豊田駅で別れたのである。

(おまけの話)
八王子に行ったので、父母のお墓参りに行った。
Yさんにも同行してもらい、先ずはいつもの花屋で花を買う。
父は1967年10月10日に56歳で、胃がんで亡くなった。
この日をよく覚えているのは、以前の「体育の日」だったからである。
母は1999年8月に86歳で、心臓麻痺で突然死したが日にちは忘れてしまった。
私は両親の亡くなった年齢の平均の71歳で死ぬと決めていたが、まだ死なないで困っている。

八王子の外れの山田地区の細い道を入り、両親のお墓のある西笑院に行った。
この寺のことを私は良く知らなかったので、改めて西笑院の歴史を調べてみたら次のように出ていた。
『西笑院は廣園寺4世・世道運慶禅師が応永10年(1403年)ないしは明徳4年(1393年)に創建したともいい、明治時代に当寺住職を務めた峰尾大休和尚は後に臨済宗総管長を務めたともいいます』。
小さな寺だが、なかなか由緒正しい寺のようだと、私は初めて知ったのである。

前回もYさんに同行してもらい墓参りをしたが、その時の話である。
私が線香を出し花を供えようとしたら、Yさんが言った。『そこは違う人の墓じゃないか? 隣だよ!』 私は何度も墓参りに来ているのに、隣の親戚の墓が同じようなので間違えそうになってしまった。
Yさんが一緒でなかったら、隣のお墓にお参りして帰って来ただろう。
もう私もそろそろ墓に入った方が良い年齢になって来たようだ。
でも私の入る墓は築地本願寺の本堂の下のロッカーなので、入り間違いはしないと思う。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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(Chat GPTで作成)されたY君の画像が少しおかしい?どんなプロンプトで指示を出したのか判らないがY君の頭の毛の生え具合が中途半端である。それが嫌で今では頭を剃っているのだから!!!
自宅で蚕を飼っていたとは、流石に本場ですね。家業が生活の中に染み渡っている。うちも金属製品や名札作りをやっていたから、子供の時からラッカー(着色料)やシンナー(ラッカーの薄め液)などと共に成長した。今なら、子供がシンナーを吸う!と大変なことになっていたでしょう。