「都心を歩く会」が「都心を歩かない会」に成り下がって、もう何年になるのだろう?
高齢になると仕方ないことだが、これも「いつまで続けられるだろうか?」と考えるようになる。メンバーのEさんはコロナでお迎えが来てしまったし、Hさんは東日本大震災の時にボランティアに行って、交通事故で亡くなってしまった。
Sさんは12月に電話で話したばかりなのに、今年の1月に病気で呆気なく急逝した。
最近になりOさんが入院・手術と聞いて、とても心配した。
この年になると「入院はそのまま」になることが多い。
しかし幸いに短い入院で退院し、9月から参加するとメールが来た。「やれやれ」である。

今回の企画は東京都庁を主に「デジタルエリア体験」、「都庁職員食堂でランチ」、「無電柱化の日フォトコンテストの受賞作品見学」、そして住友ビルに移動して「台湾EXPO 2026見物」、「帰還者たちの記憶ミュージアム」、「お茶」と盛り沢山である。
朝起きてメールをチェックしたら、中央区から次のようなお知らせが届いていた。
『本日は暑さ指数が「厳重警戒」以上と予測されます。炎天下の活動は控え、こまめな水分補給、休憩を心掛けて下さい』。
いまさら中止にも出来ず、私は大丈夫だが、他のメンバーのことを心配しながら出掛けて行った。午前11時に大江戸線「都庁前駅」に集合したのは5人だった。
段々と人数が減って来て、寂しくなるのは仕方ない。

まず最初は「デジタルエリア」での体験である。
前回はわざわざみんなを誘って行ったのに、模様替えの為にその日だけ閉鎖中だった。
この施設は「東京オリンピック 2020」の遺産を、VRやXRで体験させるために作られた。
友人達はゴーグルを装着してもらい画面に向かう。頭を動かすと、その方向の光景が見える。展望台に行った帰りか、外国人観光客が多く来ている。
彼らに人気があるのは、東京オリンピックの時に使われた聖火トーチを手に持って、記念撮影することのようだ。

「デジタルエリア」の体験を終えて、次は32階の都庁職員食堂でランチにした。
ここへ行くには、専用の機械で各個人の登録が必要である。
印刷されたQRコードの用紙を受付に出して、入館用の首から下げるカードを受け取る。
食堂では券売機でメニューから食べたいものを選ぶ。
私は食べたいものが無いので、都庁に来たのだからと思い「都庁ラーメン」を買った。
そしてカフェテリア方式の「麺類」のコーナーで食券を出す。
普通のラーメンは500円だが、都庁ラーメンは650円である。
なにが違うのかを見たら、都庁ラーメンには半熟卵、海苔、モヤシが乗っていた。
まだ12時前だったので食堂はガラ空きだったが、12時過ぎになったら行列が出来ていたので我々は席を立った。

次は1階に降りて、「無電柱化フォトコンテスト」の入賞作品を見た。
さすがに入賞作品は上手だと思った。
同じ場所にテレビが置いてあり、都庁の情報を切れ目なく流していた。
そこに「都庁のプロジェクション・マッピング」の映像が流れた。
かなり前にこの企画が実行された時に、私は家族と見に来た覚えがある。
いまでは夜に出掛けるのが億劫になってしまったので、新作は見たことがなかった。
そこで読者のためにもと思い、動画撮影をしておいた。
(おまけの話)「新宿住友ビル」
この日の最高気温は35度の予想だったので、なるべく外は歩かないようにした。
地下道を通り、向かい側の新宿住友ビルに移動した。
1階の広場ではこの日から【TAIWAN EXPO 2026】を開催中だった。
台湾の色々な業界から、特にまだ日本で売られていない製品を展示していた。
入口でQRコードを読み込んで入場手続きをして、入場カードをもらい首から下げる。

機械ものにはあまり興味が無いので、食べ物のコーナーに行ってみた。
パイナップル・ジュースを売っていたので買って飲んでみた。
少し薄味で500円は高いような気がした。でも最近の私は「なんでも高い」と思うようになっているので、妥当な値段かもしれない。
次に台湾の醤油を展示してあるコーナーに行ったら、「無料試食」と書いてあったが試食品は置いていない。係員に醤油に付いて質問したら、説明の後に試食品を出してくれた。
小さな紙コップにご飯が入っていて、その上に細切れの肉が乗っていた。
試食してみたら、懐かしい台湾の香料の味がした。

【帰還者たちの記憶ミュージアム】
次にエレベーターで33階に上がり、ここで「帰還者たちの記憶ミュージアム」の見学である。私はこの33階には縁があり、現役の時の最大の取引先があったので何回もここへ来ていた。だが大手企業は次々と建設される新規のビルに移ってしまい、昔と違いなんだか寂しい雰囲気になっている。
入口を入りパンフレットをもらうと、係の女性が『間もなく映像が始まります』と言った。
私はここへ来るのは3度目だが、映像は見たことがないので順路と逆だがみんなとビデオシアター室に行った。

ここでは映像を通して俳優で音楽家の三咲 順子がピアノを弾いて、「1人語り」を行った。
タイトルは「おもいでのリュック」で、終戦と共に満州から引き揚げて来た母と娘の「リュック」にまつわる過酷な運命の話だった。
私は少し前に小説「DANGER」を読んで、ソ連の敗戦日本人に対する酷さを改めて知った。もしかしたら当時のソ連人は「日露戦争」で日本に負けた悔しさを、その時に晴らしていたのかもしれない。
戦後になって日本軍将兵や民間人約57万人がソ連に抑留されて、シベリア、中央アジア、モンゴルなどに送られ劣悪な環境下で重労働をさせられた。
過酷な環境下で亡くなった日本人は、約6万人と言われている。
女性はソ連兵に強姦されて、時には殺された。
やっとの思いで帰国したが、その後の生活も大変だったようだ。

私と同行した同級生たちはこの施設を初めて知り、翌日にメールで感想を送って来た。
Kさん『昨日の企画は、普段あまり気に留めないようなイベントに触れ、いろいろ勉強になりました。有難うございました。これから猛暑が続きますので、くれぐれも、取材には気お付けて下さい』。
Oさん『特に帰還者たちの記憶ミュージアムは、多くの人に行って貰いたい史料館だと思います。”赤紙”を初めて見ました!』。
この「赤紙」という言葉を知っている高齢者は多いと思うが、その実物が「帰還者たちの記憶ミュージアム」の展示してある。
「赤紙」は正式には「臨時招集命令書(戦争が激化した時に行われる招集令状)」である。
いまは「平和ボケ」している日本人が多いと思うので、この施設は是非とも訪問して欲しいと思う。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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「都心を歩かない会」のメンバーの一人であるY君は残念ながら「脊椎管狭窄症」を患って落ちこぼれつつある。既に限界を迎えながらも必死に付いて行く姿がいじらしい!
リタイアしてから、やっと読める時間ができたので、司馬遼太郎の”坂の上の雲”を読んでいる。今、丁度日露戦争の只中を読書中だが、兵士たちが湯水のように無益に殺されていくシーンが続き、胸が痛み、一日にそう何ページも読めない。 戦争の残虐さ、非情さ、無意味さ、を突き付けられている。 時代はずっと後になってだが、戦争捕虜、満州からの引揚者、その過酷さに思いを巡らす。中学の時の二人の先生は、戦争捕虜としてシベリアに抑留されて、極寒の中の強制労働の後、命からがら帰国した、という話を授業中、ほんのわずかだけ聞いたのをはっきり覚えている。多分、教育委員会の規則では、そういう話はしてはいけない、と言われていたのだろうが、正面から、歴史の事実を伝えることの重要さを思う。