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勝鬨橋の見学会

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【勝鬨橋の見学会】
少し前にこのブログで、「勝鬨橋」の紹介の話を書いた。
その後、勝鬨橋の開閉に使われた、橋の上にある機械室の見学会があるのを知った。
すぐに申し込んだら、7月2日(木)午前10時の回に参加できるとメールで連絡が入った。

『午前9時45分に「かちどき 橋の資料館」に集合』と書かれていたので、9時30分の都バスに乗ればいいと思っていた。ところがこの日は生憎の雨で、天気予報が次のように伝えていた。『活発な梅雨前線の影響で、朝まで雷を伴い激しく雨が降る所があります』。

「かちどき 橋の資料館」

集合場所は勝鬨橋の袂にある「かちどき 橋の資料館」である。
気が急いていたのでバスの時間まで待てず、隅田川沿いに歩いて行くことにした。
隅田川の水は濁っているが雨は思ったほどではなく、「これならやる」と勝手に思った。

10時前に見学希望者の8人が揃った。男性6人、女性2人だった。
みんな若い。60歳は行っていないだろうと思う。後期高齢者は私1人だけである。
先ずは席に座り、勝鬨橋のビデオを見る。

最初にビデオを見る。

私は早く行ったので2番手で、まだ相当に時間があるので館内を見学した。
ここは元は勝鬨橋開閉のための、電源の変電所だったところだそうだ。
変電機や関係機材の展示を見たら、あまり面白くない。

左手に「勝鬨橋」の模型が置いてあった。真ん中にボタンがあり、それを押してみた。
すると音声の説明と共に、勝鬨橋が開き船が通過して行った。これは面白い。
もう一度、ボタンを押したら船がその場で回転し、こちらに向かって来て勝鬨橋が開いた。

「かちどき 橋の資料館」の資料によると『勝鬨橋は昭和15年(1940年)に隅田川に築造された、我が国で最大規模を誇る可動橋です。橋の中央部を「八」の字型に開いて、1000トン級の大型船舶を通すことが出来ました。・・・』

『橋脚内見学ツアーは、橋や機械・電気に関する高度な技術的工夫がこらされた開閉の仕組みを多くの方々に知っていただくために開催しています。。。。』

『ツアーでは勝鬨橋の構造や歴史、機械設備など東京都建設防災ボランティア協会員が解説し、橋脚内にご案内します』と書いてあった。

 橋の中央にある「機械室」

「かちどき 橋の資料館」の係の女性が出て来て、参加者にヘルメットと軍手を渡した。
そして高所作業員が装着する、「フルハーネス型」の安全ベルト装着してくれた。
それが終るとボランティアの説明員が4人、出て来て自己紹介をした。
そしていよいよ外に出て、勝鬨橋の中央まで歩いて行く。

橋の開閉のための機械室は、2ヵ所にある。
手前の機械室に上がると、時代物の古びた操作盤や計器が並んでいる。
私が仕事を始めた頃に、見たことがあるような感じの操作盤だった。

「機械室の操作盤」

次に下に降り小さなドアを開けて屈んで中に入ると、1人がやっと降りられるような穴が開いている。そこには下に降りるための鉄の梯子があり、係員が1人目の人の安全ベルトの背中にロープを差し込む。

1人目がソロソロと降りて行く。下に到着すると、ロープを巻き上げる。
そして2番目が私で、梯子の穴が狭いので、しっかりとパイプの手摺を掴んで降りて行く。

梯子は直角なので、足元もよく見えないから怖い。
でももし落ちたら、安全ベルトが助けてくれるはずだと思うと安心だ。

 地下に下りて行く。

地下に下りると、そこは広い空間になっていた。
この空間の高さの3分の2くらいが、隅田川の水面下だそうだ。
中2階のような場所に、よく分からないが機械類が並んでいる。

下から見上げていると、小さな穴を通過した人達が中2階に下りて来るのが見える。
元々が見学用に作られた施設ではないので、高齢者にはかなりキツイ場所だ。
申込の時に年齢を書くのだが、よく合格になったものだと思う。

水面下の広い空間

全員が地下広場に下りて来たので、図面の前に集合する。
開閉する橋の部分の重量は1000トンだそうで、両側で2000トンになる。
1000トンの橋を開閉させるのだから、橋の反対側にも同じ1000トンの重しが付いている。

橋が開き切った時に、重しの部分が収納される場所が我々のいまいる所なのであった。
図面と係員の説明で、とてもよく分かった。図面に示されている人間が小さい。
上の写真で緑色のものは、その重しのストッパーだった。

図面で示されて、よく分かった。

次に少し階段を上がり、橋の開閉時に大事な役割をする回転軸を見に行った。
この軸を中心に橋が開閉しているのである。
昔のことだがこの橋が出来る前は、人は渡し船、車は月島廻りだったようだ。

勝鬨橋の建設には2つの理由がある。
1つ目は船の大型化により、どうしても勝どきに橋が必要になった。
2つ目はその頃に「万国博覧会」が晴海で開催を予定される予定だったのだが、これは第二次世界大戦で中止になった。

橋の名前の「勝鬨橋」は29年前に日露戦争で日本が勝利して「勝どきの声を上げた」ことから名付けられた。それにしてはずいぶんと、時間が経ち過ぎていないか?

 開閉の回転部の軸心

この橋は1933年に建設が始まり、1940年に完成した。当時は1日に5回の開閉が行われたそうだ。しかし交通量の増大により、1970年11月29日に開閉を止めたのである。
「開かずの踏切」というのがあるが、これは「開かずの可動橋」である。

前にも書いたが、私は勝鬨橋が開いたところを見たような覚えがある。
見学の終りに「勝どき 橋の資料館」に戻りアンケートとなり、全てのところに「最高マーク」で答えた。

見学で使った軍手は「お土産」にプレゼントされた。お勧めの見学会である。
軍手には「かちどき 橋脚内案内ツアー」、「かちどき 橋の資料館」、「東京都道路整備保全公社」と印刷されていた。

 お土産の「軍手」

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伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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コメント(2件)

  • 勝どき橋の完成が1940年と知り、急に親近感を覚えました。私達はその翌年の1941年生まれなのです。太平洋戦争が勃発して日本も世界へ飛躍しようとしていた頃です。まさにイケイケ・ドンドンの日本だったのですが、その後の惨めな結果になったのは皆さまには説明の必要はありませんね! 戦後復興を経て1970年には高度成長期を迎えてやっと飛躍できる日本となりました。その歴史を目の当たりに見てきた勝鬨橋は如何なる感想を抱いているのでしょうか?

  • 子供の時に買ってもらった絵本の中に、勝鬨橋の絵が載っていた。橋が真ん中から二つに分かれて持ち上がり、大きな船が通り、また橋が平坦になり、車が通行する、なんて全く信じられなかった。一度上がった橋が何事もなかったかのように平らになる、ということが、私の知性や想像力を遥かに超えていた。 同じ東京に住んでいながら、一度もその橋の開閉を見なかったのは、いとも残念!
    今回のツアーで、開閉のからくりを見せてもらい、長年の疑問が多少なりとも解決しました。

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