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両親の墓参り

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ブログ閉鎖中の話題(2016年6月24日)
同級生のY君からお声が掛かった。
「O君が八王子で写真展を開催するので、一緒に見に行かないか?」。
しかし八王子は遠い。我が家からは1時間40分くらい掛かる。

迷ったが、「そうだ。この機会にしばらく行っていない両親のお墓参りをしよう」と思い立ち、写真展に行くことにした。

JR八王子駅前。ビルも多いが、何となく地方都市という感じがする。

久しぶりのJR中央線は、なんだか懐かしい。
電車は多摩川を越えると急に周りに緑が増える。東京とは思えない風景である。
八王子駅前ビルの写真展の会場に行くと40枚の写真が飾られていたが、どれもレベルが高いので驚いた。

私の父親の生家の本家は貸しビルになっていた。(橋完ビル)

ざっと写真を見てから、9階の食堂街で友人達とランチを食べて別れた。
八王子という町は私には元々、縁がある。
私の父親は八王子の出で、今では付き合いも少なくなったが八王子には親戚がいる。
久しぶりの八王子なので、ブラブラしながら親戚の家を見て回った。

二分家も貸しビルになっていた。(橋捷ビル)

本家はJR八王子駅からすぐの場所にビルを建てて、貸しビル業を営んでいる。
二分家は京王八王子駅前で同じく貸しビル業をやっている。
なぜ兄弟が貸しビル業かと言えば、それは昔、その場所で織物工場を経営していたので、工場用地として広い土地を所有していたからである。

古い家系の家は本家を中心に男系で、分家、二分家、三分家・・・・と繋がっている。
私の家は四分家なので、私の父親は5男坊であった。

京王線の八王子駅ビル。この向かい側に二分家の貸しビルがある。

分家も織物工場だったが、嫁さんが旦那より力を持ってしまい時代を読めず過剰な投資をして破産した。三分家も織物工場だったが、オヤジが早死にしてしまい廃業した。
五分家の私のオヤジは織物工場を嫌い、親から現金をもらいブラジルに渡った。
この話は面白いので、また別の機会に・・・・。

お墓のある駅「山田駅」。周りには何もない寂しい田舎の駅だった。

ここからやっと両親のお墓参りの話になる。
京王八王子駅から電車に乗り、北野で「高尾山口」行きの電車に乗り換えて2つ目の駅が「山田」である。 そこに私の両親のお墓がある。
小金井にいた時は毎月のようにお墓参りに来ていたが、勝どきに越してからはすっかりご無沙汰になっている。

両親のお墓がある西笑院。

親不孝者と言われれば、その通りかもしれない。
でも、私は宗派は違うが築地本願寺で2年に1回は父母の法要も行っているし、育ててもらった両親のことを忘れたことは無い。

「故郷は遠きにありて思うもの」という言葉があるが、私の場合は「両親は遠きにありて 思うもの」のようだ。

本堂の横にあった木彫りの達磨像らしきもの?。

(おまけの話)
この日は暑かった。気温は30度を越していた。
山田駅はタクシーも無い寂しい田舎の駅なので、初めてこの駅に降りた私は少し道に迷った。炎天下を汗まみれになり20分くらい歩いて、やっとお寺に着いた。
お墓のある寺は臨済宗南禅寺派の西笑院で、大きくはないが、それなりに由緒はあるらしい。

両親の墓に手を合わせる私。

桶に水を汲み、墓に向かう。墓参りの人は誰もいない。
お寺の人が常に墓を掃除してくれているようで、墓としてはまあまあ綺麗な方だ。
駅から寺までの間に花屋が無かったので、生花は無しで線香だけで勘弁してもらう。
その後、墓参りに行った証に、セルフタイマーで記念撮影をする。

駅までの田舎道に紫陽花が綺麗に咲いていた。

両親が亡くなった正確な日にちを忘れていたので、墓石に彫られた日付をメモする。
私は「人は死ねば、全て終り」という考え方なので、墓参りはあまり重視していないが、それでもお骨が入っている墓を前に手を合わせると、両親のことが目に浮かんで来る。

電車を1台、乗り損ねたら、急行が停まらないので次は25分待たねばならなかった。

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伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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コメント(2件)

  • 「は」と打ち込んだら「墓参り(Y)」と出た。以前にも「墓参り」の話をしたようだ。H君とは八王子へ来るたびに「墓参り」に同行している。「八王子ナポリタン」「激安弁当」「100円ラーメン」などの八王子発の摩訶不思議な名物を取材する目的なのだが、序でに「墓参り」となる。H家一族のお墓が隣接しているので、時折間違えることもH君の愛嬌でもある??

  • 晩年の母は、あと何回お花見ができるかねー、とよく言っていた。あ、又、言ってる、まだまだ何回も飽きるほど見れるよ、と言ったり思ったりしていたが、それから数年で亡くなってしまった。自分も歳を重ねるとその実感がしてきた。一日一日を大切に生きようと思う。

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