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縁は必然

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縁というものは不思議だ、とよく言われる。あの時あの人に出会っていなかったら。あの会社に入っていなかったら。あんな目に遭っていなかったら……そう振り返れば、確かに人生は偶然の積み重ねに見える。

だが、少し視点を変えてみたい。「そうならなかった人生」は、一度も存在したことがない。私たちはいつも、たった一本の線の上を歩いてきた。分岐があったように感じるだけで、実際に通った道はいつも一つだけである。そう考えれば、縁は不思議でもなんでもない。人生は必然だ。

ここで因果という考え方を見直してみたい。何かが起きたとき、人はその原因を探す。「あれが原因でこうなった」と。しかし、よく考えるとこの順序は逆ではないか。実は結果が先にあり、それを説明するために原因というものが見出されるようにみえるのだ。つまり、原因とは結果から遡って構成されるものであり、だからこそいくらでも別の理由を創り出すことができる。

「あれをしたから失敗したんだ」「失敗から学べ」……
こうした言葉はもっともらしく聞こえる。だが、仮に同じ行動を繰り返したとして、同じ失敗に至るとは限らない。なぜなら、状況も本人ももはや以前とは違うからである。厳密に言えば「同じこと」は二度と起こらない。

こう考えると、過去から現在への「つながり」とは、現在の地点から振り返ったときにはじめて浮かび上がる必然の線にすぎない。未来に向かって歩いているときには見えなかった道筋が、振り返った瞬間、一本の道として現れる。過去とはそれだけのものだ。

だとすれば、縁は不思議でも偶然でもない。それは、現在という地点から見渡したときに初めて姿を見せる必然なのである。

しかし、ここで一つの問いが残る。すべてが必然であるならば、俺に「自由意志」はあるのだろうか。選択しているように見えて、実は選択など今でさえないのだとしたら……

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人生は一本道

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犬と暮らしとカヤックと

kayaker

豊浦町でワンコたちと暮らし、たまに海で遊ぶ日常をつづります。

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