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[2009.08.01]
■小野篁
 京都市東山区の六道珍皇寺は、かつての葬地であった鳥辺野の端にあって、現世と冥界の境界とされ、現在でもその門前は、仏教で亡者の通う道を意味する「六道の辻」と呼ばれている。また、境内にある井戸は冥界に通じており、その昔、小野篁(おののたかむら)は、ここを通って冥界との間を行き来した!との伝承がある…。 


 この小野篁なる人物、百人一首に精通されてる方はよくご存知かも知れないですが、”わたの原 八十島かけて漕ぎ出でぬと 人にはつげよ あまの釣り船”の作者として知られている。小野篁は平安時代の学者で漢詩人だ!能筆で知られる小野道風と、美女の代名詞となった小野小町の祖父とされる人物で、後に「令義解」を記すなど、学者・官僚としての能力に長けた人だったようなんだけど…。 
 
 子供の頃は、とにかく勉強嫌い!ワンパクなほうで、弓や馬に熱中していた。あまりに学問をないがしろにするため、嵯峨天皇じきじきのお叱りを受けて発奮し、それからめきめきと頭角をあらわしたという…。自尊心が強く、反骨精神のかたまりのような篁は、「野宰相」「野狂」のあだ名があった。 
 篁の漢詩は、中国の白楽天になぞらえるほどの秀作だったようなんだけど、そのほとんどが散逸してしまい、わずかに「和漢朗詠集」などに残されているのみだ!平安後期の学者・大江匡房は、自著「江談抄」の中で、篁のこんな逸話を記している。 
 
 篁の詩の才能を試そうとした嵯峨天皇が、白楽天の詩集「白氏文集」の中から一節を抜き出し、少しだけ字句を変えて篁に示した。すると篁は「よい詩でございますが、こう変えれば、もっとよくなりましょう」と言って、天皇が変えたところを即座に元の字句に直して見せたという…。 
 
 当時「白氏文集」は、天皇家の文庫に秘蔵されていて、篁といえどもみることは出来ないものだったので、天皇は大いに驚いた!らしい…。 
 
 それほどの切れ者だった小野篁にはもう一つの顔があったようで、冥界では閻魔王宮第二官だったそうだ!「今昔物語集」第二〇には次のような説話がのっている。”西三条の大臣”と呼ばれた実力者・藤原良相(ふじわらのよしすけ)が、重病を患った時の事…ついに亡くなり、閻魔王宮に連れていかれ、裁判となった!閻魔大王の前に引き出され、居並ぶ閻魔大王の臣下たちの中に、何故か小野篁が混じっている…。不思議に思っていると、篁は閻魔大王に向かい「この日本の大臣は心正しく、人にも親切です。私に免じて罪を許していただきたい…」と言い、閻魔大王も「そなたがそこまで言うなら許そう」と同意をし、連れ戻され、その途端に生き返った!後になって、良相が篁にその時の事をそっと尋ねると、「以前の親切がありがたく、そのお礼です。どうか人には言わないで下さい」との事だった。しかし、いつの間にか人々の知るところとなってしまったようで…。 
 
 実は”以前の親切”というのは、承和五年(838年)のある事件をさす。当時、篁は遣唐副使であり、船出したんだけど、暴風雨にあい難破。翌年再び出帆してまた難破。遣唐正使の藤原常嗣は、3年目にも無理やり渡航しようとしたため、藤原常嗣と大ゲンカし、病気と偽って乗船せず、「西道謡」という詩を書いてその無謀さを非難した!この事が嵯峨天皇の怒りをかって隠岐に流される。”わたの原…”の歌はこの時のものらしい…。 
 嵯峨天皇は死罪を主張したのだけど、藤原良相が刑一等を減じて配流とし、篁はそれを終生、恩義に感じていたようなの…。 
 
 史実では、小野篁は従三位、参議にまで登りつめ、仁寿二年(852年)、51歳で没した。墓は京都市北区紫野西御所田町にあり、あの紫式部の墓と並んでいる。とんでもない能力者だったのは間違いない!個人的に何故か惹かれる人物なんですわ…冥界との行き来をしていた小野篁…。ダンテは自らが見て来た天国・煉獄・地獄の世界を「神曲」として世に残したんだけど、篁もダンテ以上の経験をしたのは間違いないだろう…ただ、残念なのは、篁自身が自分の体験を書に残さなかった事に思えてなりません。 
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▼コメント(2)
名前:タリズマンM  2009.08.08 16:03:55
雲さん!お久しぶりです。  
約束の物?月山のものでしょうか?  
気つかってもらったようで、ありがとうございます。感謝します。  
 
ところで、雲さん元気でしたか?  
忙しくしているとは思いますが、元気な顔も見せに来て下さいね! 
名前:雲  2009.08.08 11:23:35
お久しぶりです!  
雲です。  
約一年たってしまいましたが約束の物送りますんで使ってください^−^ 

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1995年から、この伊達市に、占いスペースを開き、運命アドバイザーとして占いをおこなっています。  
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