■節分
立春の前の日を節分というのだけど、実は1年には24の節気があり、24の節分があったようなの…。ただ、立春の前の日が特に”節分”として残った経緯は、立春が本来の”正月”として重視されていたからに、他ならない。その節分の豆まきの時、豆をまく役目の人の事を「年男」という。現代では年男って本来とは違う意味で解釈されてますけどね…。
本来、年男というのは、年神の魂を代表する者、家長とかその代理者の家長の長男が担当した。まぁ、平たく言えば、正月行事を取り仕切る人を年男と呼ぶのね…。
節分はお馴染みの「鬼は外!福は内」の掛け声に合わせて豆をまく古くからの伝統行事なんだけど、そのルーツは諸説があって、ハッキリしていない事も多い。
上流階級の間で豆まきが始まったのは、室町時代だと言われている。当時の文書に「豆打」として、豆まきの様子が書かれていて、宮中でも広く豆まきが行なわれたらしい…。
この行いについては、中国で桃の杖等で鬼を追い祓ったり、弓矢で鬼を射る行事等が日本に入って来たのではないか?という説と、それ以前から民間で行なわれていた行事が武家や公家の間に広まったという説もある。
確かに民間ではかなり以前から豆まきが行なわれていたようで、それも節分だけでなく、大晦日、煤払いの日、七日正月といった日にも行なわれていた。現代でも、播磨地方東部では節分と大晦日の2度豆をまくし、奥州北部の三戸郡では、年末の煤払いにもまく。また、北九州では正月の七日に豆をまくケースが多い。この地方の漁民はこの豆を拾っておいて、海上で大風の日等にもう一度巻くんだとさ…。
こうした民間の豆まきは、元々呪術的な要素が強いものなのは間違いない!豆まきに使われる大豆は、邪気を祓うものだと考えられていたし、更に霊界の意志を知るための占いにも使われたようで、一度まいた豆を拾って、節分の夕、それを焼き、その焼け方で月々の天候を占ったりする”豆占い”も全国各地で行なわれていたらしい…。
まして、神道の世界では”節分の豆は、鬼にぶつけるものではなく、あくまでも人間の身に付いている罪・穢れを祓い清めるもの”という考え方もある。しかも、その豆は年神の依代として神霊が宿ったものだから、節分の日に数え年の数だけ豆を食べ、年神の魂を身体に取り入れる!という概念もありますよね。私が子供の時なんか、確実に年の数以上食べて叱られましたわ(笑)。
どうにしても、今でも家庭に欠かせない行事になってはいますが、この頃はあまりやらない方も多いようで…豆まきには”意味”があるんですから、皆さんしっかりやって下さいね!福が来ませんよ!色々な意味で、昔からミステリアスで厳粛な行事なんですから!