■赤い靴はいてた女の子
今回は、ちょっと不思議な話から脱線してしまうかも?ですけど、童謡「赤い靴はいてた女の子」って、北海道にゆかりがある事知ってましたか?実は、お恥ずかしい事に、最近まで知らなかったんですよ…。留寿都村に”赤い靴公園”ってあるの知ってますか?そこに”きみちゃん”という像があるんですわ…。このきみちゃん像、横浜の山下公園にも母恋像とか言ってあった気がするんですけど…。子供の時は、この「赤い靴はいてた女の子」とドナドナ聞くとすごく何故か悲しかったんですよね…。
子供の時なんか、異人さんじゃなく、ひい爺さんか、いい爺さんって聞き間違っていたふしが強くて、何で、ひい爺さんや良い爺さんが、女の子連れていってしまうんだろう?くらい思ってもいたんですけどね…。曲のフレーズにもよるんでしょうけど、すごく悲しくなる曲に思えませんでしたかね?

♪赤い靴 はいてた 女の子 異人さんに つれられて 行っちゃった
♪横浜の 埠頭(はとば)から 船に乗って 異人さんに つれられて 行っちゃった
ですよね?この作詞をした野口雨情という人は、20代の頃、1907年頃札幌にあった「北鳴新報」という新聞記者をしていたみたいなの…その時、一軒家を同僚の鈴木志郎一家と、二家族で借りていたみたいで、親しくなった鈴木さんの妻・かよさんから「実は私には結婚する前に、”きみ”という女の子がおりました…」と打ち明けられ、心に留まったそうで…。

その後、上京した雨情は詩人として世に出て「赤い靴」が作られ、広く歌われるようになる…。
「雨情さんが、”きみちゃん”の事、歌にしてくださったのよ…。大きくなったろうね…。今はどこにいるんでしょう」かよさんは子供たちに、そう語って涙ぐんでたって…。
私は、実は2番までしかこの歌知らなかったんですけど、この歌には3番があってさ
♪今では 青い目に なっちゃって 異人さんの お国にいるんだろぅ


女の子の行方を知る由もないない雨情ではあるけど、ちょっと悲しい歌だったのは間違いないようですね(涙)。