■モーツァルト
秘密結社”フリーメーソン”には、多くの歴史的偉人が会員として加わっていたが、楽聖ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトもその一人であったそうで、モーツァルトがフリーメーソンに参入したのは1784年、彼が28歳の時の事。当時、モーツァルトは、ウィーンにいたみたいなんだけど、ウィーンはかなりフリーメーソンの活動が盛んな土地だったみたいで、この地において、モーツァルトは数多くの名曲を作曲しており、フリーメーソンに参入してからは、その秘儀的な典礼にいたくインスピレーションを刺激されたらしく、フリーメーソンの儀式用音楽を10曲も作曲し、会に捧げている。
これは有名な話ではありますが、モーツァルトが1791年に作曲したオペラ「魔笛」は、フリーメーソン精神を具体化し、これを賛美するために作られた作品だ!と言われている。

それもそのはずで、この物語の台本を書いたのは、俳優で劇作家でもあったシカネーダーという男なのだけど、彼もフリーメーソンの会員だった。相談しながら、半年もかけて作り上げた台本に、2人は当時のフリーメーソンが置かれていた立場を暗示したと言われている。
リトアニア生まれの美術史家バルトルシャイティスは、それについて「このフリーメーソン歌劇は、近代社会への諷刺に満ちている。夜の女王はローマ・カトリック教会の化身で、それを代表するのが、イエズス会と結託した女帝マリア・テレジアである」と説明している。

当時の民衆は、この暗喩に気付く程度には、フリーメーソンの事を理解していたから、専制君主マリア・テレジアに模された夜の女王が倒されるシーンに、皆歓呼の声をあげたそうだ…。
幼い頃から「神童」と称され、オペラや交響曲、ピアノソナタ等、あらゆるジャンルの作品を数多く発表した天才作曲家モーツァルトは、35歳の若さでこの世を去った…。死因は病死とされているが、モーツァルト本人が「自分は毒を盛られたらしい」と妻に打ち明けている事から、毒殺説も囁かれている。
その犯人としては、ライバルとされていた宮廷作曲家のアントニオ・サリエリが有力視されているが、興味深いのは、「魔笛」での秘密漏洩に怒ったフリーメーソンによる暗殺だった!という説が存在している。
モーツァルトが死んだのが、「魔笛」の上演からわずか2ヶ月後だった事から、彼の突然の死と歌劇の内容が関連づけられたものと思われる。笑えるのは、彼はギャンブルで作った借金のせいで、殺されたという説もある。
