■人生で出会った魅力ある人
人生も長くやって来ると、色々な人達に出会った。
嫌な人も多くいたがほとんど忘れてしまい、魅力のある人だけが思い出される。
まだ健在の人に登場してもらうと問題もあるかもしれないので、アチラに逝った人だけに登場してもう。
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私が以前に住んでいた小金井にも魅力的な人が多かった。そんな中の1人にOさんがいる。Oさんは私が住んでいた小金井の家の前で、タクシー会社を経営していた。
毎年、お中元とお歳暮を持って我が家を現れ、タクシーの騒音を謝っていた。彼は山梨県の出身で、武田信玄を愛して止まぬ人だった。
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彼は法人会のバス旅行に行くと、必ず「武田節」を大声で歌った。
この歌は1961年の発売で、三橋美智也が歌ってヒットした歌である。
歌詞は戦国武将の武田信玄を歌ったもので、山梨県の人なら誰でも歌える。
その中に「祖霊ましますこの山河 敵に踏ませてなるものか 人は石垣 人は城 情けは味方 仇は敵」というのがある。
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そして、歌詞の1番から2番の間に詩吟が入る。
そこに「風林火山」が登場し、Oさんは特にここが好きだった。
風林火山の意味は「その疾きこと風の如く、その徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如し」である。
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解説によると、「風林火山」というのは甲斐の国の大名である武田信玄の旗指物に記されていた文字で、「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」である。その基となったのは孫子の句からの引用で、戦いにおける四つの心構えを述べた語である。
「風のように素早く動いたり、林のように静かに構えたり、火のような激しい勢いで侵略したり、山のようにどっしりと構えて動かない」という意味である。
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Oさんはバスの中でこの歌を歌い、そして言う。
「武田節を気に入ってくれたなら、シングルのレコードをプレゼントします」。
今はどこかへ行ってしまったが、私もそのレコードをプレゼントされたのである。凡人の私には「風林火山」のようには、なかなか出来なかった。
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Oさんの主張は『歴史に「もし」は無いが、その「もし」があれば武田信玄が天下を取っただろう』という考えであった。
武田信玄が戦の途中で病死しなければ、日本の歴史も今とは違っていただろう。
「もし」なんてことを言い出すと、私の今の生活も無くなってしまうので困る。歴史だけでなく、人生にも「もし」は無いのである。
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(おまけの話)
私の女房は大病をした後に、健康を取り戻すためにゴルフを始めた。
意外と彼女に合っていたのか、熱心にやるので自分のお金で山梨県の甲府の近くの境川CCというゴルフ場のメンバーになった。
そのゴルフ場には小金井の知り合いが多かったのが、このゴルフ場の会員になった理由である。
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私は他のゴルフ場のメンバーだったので、1ヵ月に1度だけビジターで付き合った。
甲府は盆地でブドウや桃の栽培が盛んで、春は桃の花が咲いて、甲府盆地一面がまるでピンクの絨毯を敷いたようだった。
彼女が会員になった時はバブルの最中で会員権はかなり高かったが、10年後に預り金が返還されるので構わないと思っていた。
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ところがバブルが崩壊し、約束の10年目になってゴルフ場は預り金の返還が出来なくなった。窮余の策として会員権を2つに分割し、「更に10年後に預り金を返還する」となった。しかしその20年目になっても返還出来なかった。
そんな時に私達は勝どきに引っ越したので、もう甲府まではゴルフに行けないので、ゴルフ場に会員権を引き取ってもらった。
その金額は買った時の30分の1だった。
バブル崩壊の被害は我が家にも押し寄せていたという,苦い思い出話である。
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