■「令和」最初の一般参賀
平成時代の天皇が退位された。丁度、区切りの良い30年間のご在位だった。ネットのニュースで知ったことだが、「平成天皇」とか「令和天皇」とは言わないそうだ。 明治天皇、大正天皇、昭和天皇と言うのになぜなのか?、と疑問だった。その理由は「○○天皇」という呼び方は、崩御後の追号なので生存中は使わないのだそうだ。

4月30日に平成時代の天皇が退位されて、5月1日から新天皇のご即位となった。退位をされた天皇は「上皇」となり、皇太子が天皇にご即位して「今上天皇」となった。
それを記念して、5月4日に新天皇の国民へのお披露目である一般参賀が行なわれることになった。
昨年の天皇誕生日には「平成時代、最後の一般参賀」ということで、例年よりかなり多い国民が皇居に参賀に訪れた。
近くまで行った私はその人数に驚いて、参賀を諦めた覚えがある。

令和元年5月4日の新天皇一般参賀は、「どんなに混雑して、行列に待たされても行く」と決めていた。もしかしたら、これが私の皇居一般参賀の最後となるかもしれないからだ。
今回の一般参賀での新天皇のお出ましは、午前10時から6回の予定である。天皇、皇后両陛下と秋篠宮ご夫妻をはじめとする皇族方のお出ましの第1回目が午前10時からなので、午前7時の始発の都バスに乗った。

7時20分に内堀通りを越えると、もう大勢の警察官が参賀の人達の行列を誘導、整理していた。
見渡す限りの参賀の人達で、見たところ1万人は超えている。
警官に案内されて行列の最後尾に並ぶ。そこから延々と忍耐の待ち時間が始まった。手荷物検査場に来た時は、午前8時50分。
手荷物検査を終えて、また並ぶ。

この頃からトイレに行きたくなる老人が増えて来て、行列から抜けて行く。あまりの参賀者の多さに驚き、宮内庁は予定より20分早めて9時10分に正門を開いた。
でも私の列はまだまだ動かない。
やっと午前9時40分になり動き出した。
そして二重橋を渡り長和殿の前に来た時は、9時55分になっていた。

10時丁度になり後ろのドアが開き、皇族の方々が長和殿のベランダに入場して来た。
1万人を越える参賀者が一斉に「天皇陛下万歳」と叫び、日章旗を振る。
私は一番後ろで、良く見えない。
仕方ないので次の回の11時まで、1時間をここで待つことにした。
炎天下で具合の悪くなる老人がアチコチで出て、車椅子で運ばれて行く。

私はもうここまで、炎天下で3時間半以上も並んでいる。
10時の回の人が去って行き、居残りの私はやっと一番前から5番目の場所を確保出来た。その頃には膝が痛いし、腰も痛くなって来た。
11時になり天皇ご一家のお出ましとなり、天皇陛下のお言葉があった。
お出ましから退出までは、時間を計っていたらわずか4分だった。
この時の為に、私は朝から11時まで3時間40分も並び、たったの4分で終ったのである。疲れたー!!

(その場で1時間、待って、2回目は前から5番目の場所を確保した)
(おまけの話)
海外では今回の天皇退位と新天皇即位は非常に関心を持たれていて、メディアは色々な解説をしていたようだ。
米ニューヨーク・タイムスや米ワシントン・ポスト紙、欧州メディアなどは「男女平等の時代に、女性が天皇になれないのは女性差別で蔑視だ」なんて書いている。
私は言いたい。「あんたに言われたくない!それを言うなら、ローマ法王を女性にしてから言え!」と。

日本は世界に類がなく、2000年以上も天皇家が男系男子で引き継がれて来ているのである。それを我が国の歴史も良く知らない外国人が、浅はかにも軽薄な非難をしている。
国内でも「愛子さまを女性天皇にすればよい」と言う人がいるが、「女系天皇と女性天皇の違い」が分かっているのか疑問だ。
愛子様が一般人と結婚し天皇となり子供が生まれたら、その子が次の天皇になる。
これで連綿と続いて来た、日本の伝統である「万世一系」が終ってしまう。

昔の天皇家では正妻が子供に恵まれなければ、側室が男子を生んだ。
今の時代は、それは出来ない。
宮家復活という話もあるが、これは悩ましい。次のようなことが起きる可能性があるからである。
もし秋篠宮真子さまの婚約内定者の小室圭さんが真子様と結婚し、その時に宮家復活がなされたらどうなるか?、天皇誕生日の一般参賀の時に小室圭さんが真子様と並んで長和殿のベランダに立つことになる。
そうなったら、私は一般参賀に行く気にはなれないだろう。

(この日は6回のお出ましで、14万1130人の参賀者が来た)