■山笑う
この頃の樹々の芽吹きを見ていると、何て爽やかな色合いなのだろうと思う。
清新な白樺の黄緑、柳の黄色、からまつの若緑、桜のピンク、こぶしの白、その他にもこれから本格的な芽吹きに入る黄土色にも見える葉や枝の色。

特に樹々いっぱいの山は、いまたくさんの美しい彩りにあふれている。
*山の樹々が芽吹き始めると、春の山は薄紅や淡緑、クリーム色など、レース編みのように繊細でやわらかな色に染まります。
中国北宋の山水画家、郭煕(かくき)は
「春山澹冶(たんや)にして笑ふが如し」
と書き残しています。澹冶とは、淡く艶やかな様子で、はにかんだ少女のほほえみのような春の山の明るさ、人の心を和ませるようなたたずまいをよく表しています。
ちなみに、郭煕が記した「臥遊録(がゆうろく)」の山を擬人化した一節では、
「春山澹冶(たんや)にして笑ふが如く、夏山蒼翠(そうすい)にして滴るが如く、秋山明浄にして粧(よそお)ふが如く、冬山惨淡(さんたん)として眠るが如し」
と山の四季の姿を表している。*
「美しい日本の季語」金子兜太監修 誠文堂新光社の中から引用させていただいた。
ここから「山笑う」は春の季語になっているとのこと。一句、
山笑ふ 画室に白湯(さゆ)を いただきて 黒田杏子
室蘭の白鳥大橋から道央道の室蘭インターチェンジに向かう道路を走っていると、見えている山の樹々の色が今の時期、何とも美しい。たくさんの淡い色合いが山を埋めている。
淡い色合いは、心を和ます。
この色合いは、長続きしないのが悔しい。日々変わって行く。
自然界には「時間よ止まれ!」がないのである。芽生えた葉は、日々ぐんぐんと伸びていくのである。やがて、そんな淡い色もあったのかと、遠い昔のようになり、しっかりとした緑の世界になっていってしまう。春の今の時間の移り行きは名残惜しい。
伊達の見晴らしの丘の上を散策していると、噴火湾文化研究所の庭のななかまどの並木はもう葉が緑で豊かになってきている。奥の方の落葉松の並木は、ぐんぐんと葉の色が濃くなってきている。
紋別岳や稀府岳は、すっかり雪が消えて、山肌は茶色や緑色が混じったような色合いになってきている。
丘の畑では、トラクターの動きが活発であり、掘り返された土くれは大きな塊で黒々として、やがて平らにならされてビートや野菜の苗が植え付けられていっている。秋蒔き小麦は、季節と共に成長して緑のたけが伸びて、豊かな緑の原を作っている。
我家の小さな庭では、ぎぼうしが土から芽を出し、ぐんぐんと伸びて新鮮な若緑の葉のボリューム感を出してきた。バラの葉は、赤色から少し緑がかってきた。
まだ水仙類が清新な色合いで咲いてくれているが、段々他の花に座を譲っていくだろう。
今年は、すずらんの芽が増えて、今頃ぐんぐんと伸びてきている。
黄色の山吹の花芽が目立ってきたので、間もなく開きそうだ。
ラズベリーの集まる庭の南側の隅は、葉が随分と伸びて、一つのグループを主張している。今年は、赤い実がそこそこ取れそうだと期待される。
遅いのは、野ぶどうやむくげで、まだはっきりした芽が出てきていない。野ぶどうは、芽が出ると、ぐんぐん成長するので、そのつるをどのように這わせていくか設計していかなければならない。
(2011-5-16記)