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I promise…

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海外ドラマを観ていて、最近やたら気になるセリフがある。

「お父さんを信じろ。必ずお母さんを助け出す。約束する」 「もう君が苦しむことはない。約束する」 「この局面は必ず乗り越えられる。約束する」

画面の向こうで、登場人物たちはいとも軽々しく「約束する」と言い放つ。まるで「じゃあまた明日」くらいの気軽さで。

ドラマだから、と言われればそれまでだ。しかし不自然すぎるセリフは視聴者に刺さらない。つまりあの言葉は、少なくともアメリカ人の日常感覚に根ざしているのだろう。それが最近どうにも、引っかかる。

思い返せば、自分だってガキの頃はよく約束をした。友達と、親と。「ゆびきりげんまん、嘘ついたら針千本飲ーます」などという物騒な呪文を唱えながら、小指を絡め合っていた。あの頃、約束は守れるものとして深く考えていなかった。

ところが大人になると、約束を守ることが意外と難しいことがわかってくる。仕事、体調、家族、予期せぬ出来事。所詮人生は何が起こるかわからないから、約束を平然と反故にもする。だからいつしか、こんな言い方になっていた。「今のところ空いてますよ」と。

これはもはや約束ではない。「今は行くつもりだけど、もっと大事なことが入ったらごめんね」という、保険付きの予告だ。

武士道の精神では、約束は死んでも果たすものだという。だから破れば「ごめんね」では済まない。その一言を守るために、他の多くを犠牲にする覚悟が前提としてある。もしかしたらこの感覚、つまり、「軽々しく約束するな」という無言の圧力は、日本人の奥底にまだ生きているのかもしれない。

しかし現代では、誰もがその覚悟を持てないことを、俺たちはお互いに薄々知っている。だから約束は骨抜きになり、「約束する」という言葉自体が形骸化した。

そんなふうに思うと、アメリカ人が「I love you」を連発することも同様なのだろう。日本人からすれば「よく言うよな」と感じるあの言葉も、もしかしたら「約束する」と同じ構造なのかもしれない。重さよりも、伝えること自体に意味がある言葉。逆に言うと、もともと言葉に重さなんてないということ。

一方で日本人は、言葉は重いものとして感じている。だから「言霊」というものもあるのかもしれない。

どちらがいいとは言えないが、ただ、「約束する」と臆面もなく言える人間には、ある種の強さがある気もしている。まあそれはその人間の「思い込み」からくるのかもしれないが、俺には到底簡単に言えないなと、ある意味その勇気に感心してしまうのである。

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犬と暮らしとカヤックと

kayaker

豊浦町でワンコたちと暮らし、たまに海で遊ぶ日常をつづります。

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