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10年ぶりの元同僚と飲み過ぎ

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伯母の卒寿祝いで親戚が集まる会に絡めて、初孫とともに墓参りに鎌倉に出かけた。

ウチの家は鎌倉の東慶寺というお寺に墓がある。幼少の頃から社会人になるまで、祖父母がいたこの鎌倉にはよく行き来して遊んだものだ。しかし今は様変わりしてしまい、どこに行っても人、人、人・・・。それでも例の中国からの団体様が来なくなったためか、駅前の小町通りはかなり人が少ないように見えた。今、京都も含めて観光名所を周るのはチャンスかもしれない。

2泊3日の旅程に加えて幼児もいたため、俺の自由時間も限られた。そのため、この機会に会いたい人たちもいたが、だいぶ諦め、今回はかつてのサラリーマン時代の同期入社の同僚と有楽町のガード下の焼き鳥屋で一緒に飲んだ。

10年ぶりの再会は、有楽町のガード下だった。喧騒に包まれた焼き鳥屋で、かつての同僚と向き合う。無精髭を生やした彼の顔は十年前とほとんど変わらない。変わったのは、その肩書きだけだった。

「60の定年できっぱり辞めたんだ」

乾杯のあと、彼はそう言って、またビールを一口飲んだ。確か子会社の副社長にはなっていたので、移籍の道もあっただろう。しかし、身体のこと、心のこと。様々な理由が重なって、今は自宅で静養中だという。

俺たちの同期入社は120名。同期の奴らのその後の様子を聞くと、久々にそいつらの顔が蘇る。俺は10年しかいなかったこの会社を辞めてから、もう何十年も彼らとは会っていないのだが、結局最後まで勤め上げた同期は何人いるのだろうか。まあ7-8割はいるのかな。次期社長候補として名前が挙がる同期もいるとのこと。他にもかなり多くの役員を輩出した我々の世代は、確かに優秀だったのだろう。

彼も東大卒。それなりの出世を遂げた。しかし優秀さだけでは頂点には立てない。それが組織の現実だ。

ふと考える。もし自分があの会社に残っていたら、どこまで登れただろうか。

そこには出世競争という名のゲームがある。OBエリアからゴルフボールを蹴り出して「セーフでした!」と笑顔を作る。嫌いな上司のケツを舐める。親しかった同期や先輩後輩とポジションを争うことになる。そこにはあのドラマで描かれた、あの世界そのものがあったろう。それを自分にどこまで耐えられただろう。正直、自信はない。つまり、そう、俺はそれほど出世できなかっただろうと思う。だから当時の仕事はとても充実して楽しかったのだが、多分早く辞めてよかったわけだ。笑

この日、積もる話は尽きなかった。思い出話に花が咲き、時間はあっという間に過ぎていく。最初の生ビール数杯の後は、ハイボールの波状攻撃。何杯飲んだのかも覚えていない。

居酒屋の前で別れた後の記憶は、断片的だ。どうやって宿泊先まで辿り着いたのか。翌朝、荷物も財布もスマホも全て手元にあったときの安堵感といったら。学生時代以来の、久々の失態だった。

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犬と暮らしとカヤックと

kayaker

豊浦町でワンコたちと暮らし、たまに海で遊ぶ日常をつづります。

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