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演歌はなぜ同じ?というか同じだから演歌

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心の伊達市民第1号さんのブログに「演歌はどうして同じような旋律なのか」という疑問があった。この問いは興味深いが、実は逆説的な答えを含んでいる。つまり、「ある種の同じ旋律(コード進行)になっている曲だから『演歌』に聞こえる」のであって、「演歌はなぜ同じなのか」という問いに対する答えは「演歌にカテゴライズされる曲だから」という循環論法になる。言い換えれば、私たちは特定の音楽的特徴を持つ曲を「演歌」と呼ぶことで、その類似性を認識しているのだ。

では「演歌」にカテゴライズされる音楽的特徴とは具体的に何か。それは「Amを基調にDmとEで構成される楽曲」である。この短調で哀愁を帯びたコード進行が、いわゆる「ド演歌」の基本的な骨格であり、そこに時折G7やFといった異なるコードが少し混ざりながらも、私たちはそれを「演歌」として認識する。一方、C-G-Am-Fという明るい響きのコード進行を採用すれば、それは「洋楽ポップス」の楽曲として認識される。つまり、同じように聞こえるのは何も「演歌」だけではなく、あらゆる音楽ジャンルに共通する現象なのだ。

こう考えると、世の中にジャンルごとに似たような曲ばかりが存在するのは当然のことだと言える。ロック、ブルース、ジャズなど、各ジャンルには「型」がある。そしてここで興味深いのは、これらのコード進行自体は著作権侵害にはならず、リズムやメロディ、編曲を変えることで無限の楽曲が生まれるということだ。同じAm-Dm-Eという進行でも、演歌にも民謡にもロックバラードにもなり得る。「歌謡曲っぽい」「J-POPっぽい」といった私たちの感覚は、こうした音の組み合わせによるカテゴリー分けと、その枠内での楽曲の多様性を同時に捉えているのである。

限られた12音の組み合わせから無数の楽曲が生まれるこの現象こそが「アート」の本質であり、その究極の姿が「自然」そのものなのではないかと気づく。音楽には単なるランダムな組み合わせではなく、ある種の規則性がある。調和や不協和、緊張と解決といった法則に従うことで、人の心を動かす作品が生まれる。「自然」もまた同様だ。限られた元素や分子が化学の法則に従って結合し、無限の多様性を生み出す。炭素・水素・酸素・窒素という基本要素の配列の違いだけで、花も木も虫も人間も創られている。「自然」こそが多様性の象徴であり、奇跡的な組み合わせの違いから私たちの世界は創られているのだ。

正月早々、演歌の疑問から自然の摂理につながった。音楽も自然も、ある種の規則性のもとでシンプルな要素の組み合わせが生み出す無限の可能性という点で、同じ原理の上に成り立っているように見える。

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犬と暮らしとカヤックと

kayaker

豊浦町でワンコたちと暮らし、たまに海で遊ぶ日常をつづります。

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