*脱サラして北海道に来て始めた事業が頓挫。自暴自棄の俺に声をかけてくれたのは師匠
師匠に紹介された運搬の仕事は、港へ行ってトラックに荷物を積み、農家に届けるというものだった。師匠からもらえる月給は10万円。だけど俺は金額なんて気にせず、新しい仕事に没頭した。
農家から借りるトラックは、40万キロ以上走っているボロボロの4トントラック。浦河港でやっとの思いで荷を積み込み、そのまま富良野の農家さんへ運ぶ。ほとんど国道だが、少し長い坂道にさしかかると、エンジンが悲鳴をあげて止まりそうになる。「なんとか登ってくれー」と祈りながら、ハンドルを叩いてトラックを励ました。
そんな調子で、富良野、鵡川、積丹などの農家に配送した。小樽を抜ける狭いトンネルはカーブになっていて、最初は怖かった。でも途中からは、「もうどこかにぶつかるのも仕方ない」と腹をくくって運転していた。
朝早くから働き始め、終わる頃にはもう暗い。完全な肉体労働だ。肉体労働といえば、学生時代に内装の吹付のバイトをしたこともあるが、長くは続かなかった。社会人になってからは、ほぼ電話だけで仕事をしてきたから、こんな仕事は初めてだった。
農家さんの倉庫にトラックを突っ込みそうになったり、荷物を落としたり。失敗ばかりで、最初は本当にきつかった。でも1ヶ月もすると、不思議と体が慣れてきた。
ある暑い夏の日。いつものように倉庫で荷台いっぱいの荷物を降ろし終え、汗だくで一息ついていた。すると農家のおばちゃんが倉庫にやってきて、
「お疲れさん! いつもありがとうね!」
そう言って、麦茶を入れたコップを置いていってくれた。
その麦茶はよく冷えていて、コップには水滴がびっしりついていた。蝉の声がする中、俺は倉庫の農機具に腰かけ、麦茶を一気に飲み干した。これまで飲んだどんな麦茶よりもうまかった。腹の中に冷たい麦茶が落ちていくのを感じながら、俺は涙ぐんだ。そして人生でいちばんの充実感が、胸の奥からじわっと満ちてきた。これ以上の幸せがあるのか、と思うほどの幸福感だった。
このとき俺は、「人は何のために働くのか」という答えを、体で知ったんだと思う。もちろん、収入を得るためでもある。生活は待ってくれない。でも、どれだけ収入があっても、それだけで幸せになれるわけじゃない。
働くことで得られる幸せは、「誰かの役に立っている」と実感できたときに生まれるんじゃないか。人のために役に立つこと以上に、人を幸せにするものはない——俺はそう思った。カミさんに自分に起きたことを話すると、「よかったね」と言ってくれた。
そして俺は「健康でさえあれば、なんとかなる」とも確信した。このときの経験が、その後の俺を静かに強くした。
もがくのをやめると浮上していくものなのだろう。
しばらくして市場の状況が落ち着くと、俺はまた自分のビジネスを再開した。数は少なかったが応援してくれるそれまでのお客さんたちが後押しをしてくれたからだ。
こうして働くことの意味を知った俺は、そこから先、状況の変化に一喜一憂せずに進めるようになった。人の役に立ちたいという動機は、何よりも大きな力になったからだ。そしてその後、働くことで多くの喜びを得ることができたのだ。
(おわり)

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