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老いては子に従え

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僕には娘が3人いる。
息子も1人いるのだが、
息子は姉たちに小さい頃から
頭を抑えられて育ったからか、
姉たちには絶対に逆らえず、
女性に数的不利に対抗するためにはどうにも頼りにならないから、
ウチの家族はいつも父親一人で女性陣に孤軍奮闘という実情。

そんな中、子どもたちが社会人になってからというもの、
4番目のまだ学生の末娘も含めて、娘たち3人は
父親に対して実に厳しくなった。
おむつも替えてやったり、
あんなに一緒に遊んで可愛がってきたはずの娘たちがである。
特にこの娘たちが実家にいるときは、
本当にきつい球が飛んでくるから
用心しないといけない。

例えば、
やれ「風呂に入れ」だの、
「ビールを飲み過ぎだ」だの、
「早く寝ろ」だの
「食事のときの姿勢が悪い」だの、

「服、着替えてるのか?」
「オナラをするな」とか、
「頭が臭い。髪、ちゃんと洗ってないだろ?」とか・・・

もうカミさん以上に厳しく攻めてくるからだ。

いやいや、
酒はほどほどの量にしているつもりだし、
いたって健康だ。
椅子に座るときにすぐに足をあげるのは
腰が痛くなるからだ。
子どもじゃないんだから遅くまで起きても問題ないだろう。
それに、シャンプーなどで体の油を落としすぎるのは
皮膚の免疫を下げると信じているから、
風呂ではいつも熱めのお湯で体を洗っているわけ。
オナラって・・・せめて自分のウチの中ならいいじゃん。
お腹に溜めておくと健康に悪いのだろうが。
(ちなみに僕のオナラは音だけ。ほとんど無臭なのだ。)
いずれにせよ、
ちゃんとこっちには理由があるのである。

だが、ああ言えばこういう、
とまた呆れ顔されるのがオチだ。
(昔、ああ言えば上祐、というのがあったな・・)

その上にだ。
この春に長女が息子を授かり、
僕は「おじいちゃん」になった。
つまり「じじい」の仲間入りなのである。

そして、「じじい」というのは、
偏屈になるか、仏になるかの2択
と決まっている。
ジタバタして若づくりして
いつまでもその現実を認めないのは
みっともない生き方なのであり、
僕は人生最後のステージになって
そんなふうに往生際を悪くしたくないなー
と思った。

そして、
最近まで2択の選択をよーく考えた末、
結局偏屈じじいになるよりも、
仏になるほうがキレイに死ねるなと思った。
とういことで、
これからの生き方が決まった。

振り返ってみれば、自分がガキの頃は
親にいろいろとうるさく言われて
早く大人になって自由に生きたいと思ったものだ。

それで自分の勝手に生きることができるようになったのが
22歳の社会人になってから。
そしてこれまで40年間。
まあありがたいことに自分の好き勝手に生きてこられた。

もちろん、自由には責任もともなってきたわけだが、
何にも代え難いこの自由な立場を
僕は謳歌してきたのだ。
そしてそれがこのあともずっと続くと思っていたが、
どうやらそうもいかないようだ。

そういうわけで、
孫を連れてくる長女や、
たまに実家に帰ってくる娘たちがいるときは
じじいは覚悟を決めて仏になり、
川の流れに乗ったまま、
何を言われても死んだふりをするのだ。

それこそが、
「老いては子に従え」という
これから死ぬまでの修行の入り口に入った
いうことなのである。

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犬と暮らしとカヤックと

kayaker

豊浦町でワンコたちと暮らし、たまに海で遊ぶ日常をつづります。

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