ブログ閉鎖中の話題(2015年01月30日)
以前に「老いの考察」に付いて書いたことがある。
その時ばかりは友人達から「全くその通り」とか、「どれも共感できる」などの返信があった。いつもこのように反応してくれると嬉しいのだが・・・。

今では少なくなった風呂屋。(文京区)
そんな中に沖縄のF君からメールで提案があった。
「読みながら笑ってしまった。出来たら次回は老いて良かった面を書いて、私達を勇気付けてくれ」とあった。

質屋も見かけなくなった。(豊島区)
これは相当に難しい提案だ。
言われてみて分かったが、「良かったこと」というのはそう簡単に思い浮かばないのである。
でも、いつも「華麗」ではなく「加齢」について愚痴っているので、世の中の高齢者の為に明るい話題も考えてみた。

懐かしいような飲み屋街。(新宿区)
かなり前のことだが作家の赤瀬川原平が「老人力」という本を書いた。
加齢による衰えを肯定的に捉えている本である。
例えば、女房から「最近、耳が遠くなったわね」と言われたら、「ワシも老人力が付いて来たな」と考えるということを書いていた。

昔のアメリカ映画の「King Kong」を思い出した。(中央区)
しかしこれは寂しい。 私はもっと前向きに考えたい。
若者が我々を羨ましがるようなものでなければ、F君の期待に応えられないと思う。思い付くままに以下に書き出してみた。

今は人力車が観光客の人気。(台東区)
【老いて良かったこと】
・若者より経験、知識が豊富である。
・経験が多ければ多いほど、昔話をする楽しみが増える。
・誰にも見栄を張る必要が無い。
・映画をいつでも1100円で見られる。
・電車で席を譲られる。
・使い切れないほどの時間がある。
・食べたい時に食べ、寝たい時に寝られる。
・食欲以外の欲望が無くなるので、ストレスも無くなる。
・政府も金融関係者も金持ちと思い込んでくれている。
・大抵のことは「年寄りだから」と許される。

都心に佇む昭和の残照。(港区)
・失う地位や名誉が無くなるので、怖いものが無い。
・都合の悪い時は聞こえない振りが出来る。
・花見や紅葉の最盛期に見に行ける。
・日本の歴史を学び直して、愛国心が強くなる。
・多少のお金があれば、孫が寄って来てくれる。
・病院のお得意様になれる。
・お墓や相続税の案内が向こうから来てくれる。
・「やらなければならない」ことが殆ど無い。
・妻以外に命令されることが無い。
・思い出をすべて美化出来る。
こうやって無理して列挙してはみたが、F君の期待の「勇気づけてくれ」にはほど遠い。結論として、「老いたら良かった」ことなどはなく、老いたら静かにしていることが肝要なのである。

赤錆びたトタン板の家がまだ残っている。(中央区)
(おまけの話)
「老いて良かった」というテーマの「おまけの話」は更に難しい。
私は自分で「老いて良かった」と思っていないのだから・・・・。
いつもこのブログで「お迎えが来る」とか、「残り少ない」などの文字を頻繁に書いていると、なぜか悟ることがある。
それは死を恐れなくなり、「いつでも来ていいですよ」という気持ちになっている。

蒸気機関車は今は飾り物となってしまった。(港区)
「あなたの人生は明日で終りですよ」と神様から言われても、「はい、分かりました」と素直に受け入れることが出来るようになっている。
これを「達観」と呼ぶのか、あるいは「諦観」と呼ぶのか?

徘徊する歩道は、私のために大きな印を作ってくれて親切になった。(江東区)
ある時、テレビで黒柳徹子が言っていた。
「私、死なない病気になったみたい」。
これは可笑しい。結構、笑えた。
よく考えてみれば、今までの人類の歴史で「死ななかった人はいない」という当たり前のことに気付く。 それが「老いて良かった」ことなのかもしれない。

ハワイの荒 了寛和尚の「絵説法」・・・・(ハワイ) 老いても、私はなかなかこうはならない。
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