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後期高齢者を考える

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今回は「暗い」話であるから、パスするのもいいかもしれない。
最近であるが親しくしていた友人が亡くなり、自分の最後を真剣に考えるようになった。
次々と友人達が亡くなると、自分だけが残される心配が出て来る。
話が暗いので、せめてもと思い写真は明るい花にした。

【後期高齢者】
「2025年問題」というのがあり、『2025年以降、団塊の世代が75歳以上の後期高齢者となり、我が国が超高齢化社会になることを指す。団塊の世代の人口は約800万人である。厚生労働省の試算では、この人達が75歳以上になると、現在約1500万人の後期高齢者人口が、約2300万人に膨れ上がる』とのことだ。

後期高齢者とは「75歳」からの人を指す言葉だが、私には嫌な言い方だ。
当事者にとっては、なんだか「もうすぐ終りの人」みたいな感じの言葉のように感じる。
私は別に長生きしたいとは思っていないが、なにかもっと他の言葉はないだろうか?
最近は元気で長寿の後期高齢者が増えていて、「後期」が長過ぎるようになっている。

 「ツツジ」

【独居】
「独居」と書くとどうしても次に「老人」と続き、「独居老人」になってしまう。
他に「独居」に続く熟語があるか調べてみた。
すると最初に出て来たのが「独居房」で、これは刑務所の個室ではないか!

また「独居」と聞けば「気の毒な1人住まいの老人」を連想し、可哀そうな人にされてしまう。「独り者」と聞けば誰も高齢者とは思わず、「若者」を連想するのでその違いは大きい。
高齢になり離婚をして「独居」を楽しんでいる人も多いので、可哀そうと思う必要は無いと思う。

 「ハナモモ」か?

【孤独】
高齢者は「独居」とか「孤独」ではなく、もっと自信を持って「孤高」はどうか?
「孤独」も続く言葉が「死」で、「孤独死」が悪いことのように言われている。
人は1人で生まれ、1人で死んで行くのである。誰かと一緒に死ねば「心中」になってしまう。

アパートなどは老人の一人住まいを嫌い、大家は部屋を貸したがらないそうだ。
発見が遅く「孤独死」でもされたら後の始末が大変だし、次の借り手が付かないからのようだ。

「最後良ければ、全て良し」という言葉があるが、長寿社会になり最後はリスクになってしまった。後期高齢者は「孤高」を楽しもう!

 「サンシュ」

【死に目】
人が死ぬ時のことを「死に目」と言い、そして「死に目にあう」などと使う。
日本人は「死に目にあうことが重要」と思う考えがある。
「人が死んでいくところを見守る」と言うのも、よく考えてみれば変ではないかと私は思う。いまは病院で亡くなる人が多いので、なかなか死に目にあうことは無い。

私の父は末期の胃がんで入院していて、私が見舞いから帰った直後に病院から死亡の連絡があった。母はある日の朝、ベッドのそばで亡くなっていた。きっとトイレに行った帰りに心臓が止まったのだろうと思う。

私は両親ともに「死に目」にあっていないが、自分の場合を考えると「死にゆく様」を家族に見られたくない。

 「マリーゴールド」

【高齢者を心配してくれる中央区】
私は中央区の「行方不明高齢者捜索ネットワーク」に登録しているので、時々、行方不明者のメールが届く。今回は「軽度認知障害」の連絡だった。

これは『同じ年代の人と比べて認知機能が低下している。日常生活は問題ない。健常な状態と認知症の中間にある状態』だそうだ。そして『早目の対策で認知症を予防しよう』とあり、生活習慣の見直しを提案していた。

もう1つは「中央区総務部防災危機管理」に登録してあるので、こちらの方が頻繁にメールが届く。『区内で捜査二課をかたる者から、マネーロンダリングの容疑がかかっているなどのウソの電話が掛かって来ています。ご注意ください』などの他に、『月島で女の子が変質者に声を掛けられた』などが届く。中央区は高齢者の心配をしてくれる。

「ハナモモ」(白)

【少子化】
少子化が言われて久しい。結婚をしない若者が増えている上に、まだ婚外子が少ないからだろう。ところが一方で、この辺りでは小さな子供を連れた夫婦が目に付くので、私は少子化があまり感じられない。

休日などに私が近くを歩いていると、高齢者より若い子連れの夫婦の方が多いように感じる。「少子化はどこのこと?」と勘違いしそうだ。面白いのはバスである。

江戸バスの区内循環と、都バスの「亀戸駅」行きは高齢者が多く乗っている。
都バスの「東京駅南口」行きは若者と中年男女ばかりで、東京BRTの「新橋駅」行きは若いサラリーマンばかりである。
この近くの状況は全国的に見れば、少子化問題は「都心は特別」と分る。

「ハナモモ」(紅)  

(おまけの話)
【昭和の日本人とフロンティア】
私の若い頃は『明治は遠くなりにけり』と言ったが、現在では『昭和は遠くになりにけり』となった。そんな時に「国立公文書館」が、「昭和の人とフロンティア」という特別展を開催した。

ついでに千鳥ヶ淵の桜の咲き具合を見ながら、北の丸公園を抜けて「国立公文書館」に行ってみた。国立公文書館に初めて入ったが、古いが立派な建物で入館は無料だった。
常設展は資料だけなので、あまり面白くない。

特別展は映像で「南極観測」、「深海調査」、「宇宙開発」で、とても懐かしい映像ばかりだった。昭和時代を長く生きた私には、「私の歴史」という感じがした。

 「昭和の日本人とフロンティア」(国立公文書館)

【ジョージ君、85歳。老いてなお ケシカランことばかり】
図書館で「ジョージ君、85歳。老いてなおケシカランことばかり」という変な本を借りて来た。著者は「東海林さだお」で彼が3年前に書いた本なので、いまは88歳のはずである。
私も年のせいか「ケシカラン」と思うことが多くなったような気がする。

この本はエッセイ集で、今までの「東海林さだお」の本の中でも、1,2を争う面白さだった。「年をとり、見るもの・聞くもの腹の立つことばかりだ。怒る結果、叱ることになる。人を叱っている老人をたまに見るが、それがカラス、犬、更には電化製品、パンツへと進む」という話の展開に笑ってしまった。高齢者にお勧めの1冊である。

「相田みつを大研究」の章では、なんでも最後に「にんげんだもの」と付ければ納得してしまうという解説も可笑しい。

「ジョージ君、85歳。老いてなお ケシカランことばかり」★★★

【認知症のFさん見舞い】
認知症で高級老人ホームに入所しているFさんを見舞いに行った。
「前回はいつだったか?」思い出せない、でも3月になって行ったような気がする。

いつものように図書館の帰りに立ち寄ると、Fさんは個室の自分の部屋のベッドで横になっていた。『どこか具合が悪いの?』と聞くと、力なく『悪くない』と答えた。
ここでは「目的も無く」、「自由も無く」、だが「なんでも与えられる」生活だ。

「死ぬのを待っている」ようで、訪ねる度に気持ちが暗くなる。
私はサラリーマン経験が無いので孤独には慣れていて平気だが、でも老人ホームには入りたくない。

 高級老人ホームのFさんの個室

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伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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