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水谷八重子の餅

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ブログ閉鎖中の話題(2016年2月5日)
2月3日は節分であった。我が家も毎年、形だけは節分を祝う。
女房が炒り豆を買って来て、それを家の中に撒く。マンションは外に何かを投げると非常に危険なので、管理規則で投げてはいけないことになっているので、豆を部屋の中に少しだけ撒く。

芝・増上寺の正門の「節分豆まき」の案内看板。

お決りの「福はうちー、鬼はそとー」と小声で掛け声を掛けて豆を撒いたら、女房が変なことを言う。『我が家の鬼は悪いことをしないので、「鬼はうちー」でいいじゃないの』と言った。我が家に鬼がいるかどうか分からないが、その言葉に従い「鬼はうちー」と言ってみたが、どうにもシマラナイ。

鐘楼に上った僧侶の鐘撞きでイベントが始まった。
 

今年はどこの神社に豆まきの写真を撮りに行こうかと考えていたが、その後の買い物の都合を考えて芝の増上寺に行ってみた。
12時少し前になり、坊さんが鐘楼に上り鐘を撞いた。
それに合図に寺の正面入り口から大僧正に続き、稚児行列が入って来た。

稚児行列が続く。お稚児さんは増上寺幼稚園の生徒達。

行列が私の前を通り過ぎると警察官と係員が出て来てロープを張り、入場制限を始めた。最近はどこでも事故を心配して、必要以上に安全を確保するのも考えものである。
先ずは舞台の上から年男、年女が餅を撒く。そこに登場したのが女優の水谷八重子である。彼女は私より3歳も年上なのに、かなりの美人である。
近隣の劇場の幕間に来てくれたので、舞台衣装のままである。

餅まきの前に、餅つきのデモンストレーションがあった。

私と舞台との距離のせいか、あるいは厚化粧のせいか、彼女が魅力的なのに驚く。
いつも他人から見られているという商売は、人を若く見せる。
私は写真を撮りながら、餅も取りたいので忙しい。
投げた餅を受け取るのは想像以上に難しく、多くの人が受け取り損ねて地面に落とす。

いよいよ餅まきの始まり。 袋とか、帽子が無いと素手では受け取れない。

私はなかなか餅が取れず焦ったが、運良く近くに落ちた餅を見付け素早く拾う。
水谷八重子の投げた餅を取れたので、今年は良いことがあるだろう。
その後に豆まきが始まった。最近は衛生上のことを考えて、ビニール袋に入っている。

餅袋にはラッキー賞があり、一等賞は近隣のホテルのペア宿泊券であった。

豆だけでなく、お菓子やアメも飛んで来るが、軽いのでみんな私の手前で落ちてしまう。
やっと豆が私のところに飛んで来た。それをシッカリと受け止めたと思ったら、袋が破れて手の中に残ったのは2粒だけだった。

それでも福を呼ぶ豆を取れたので、その2粒を味わいながら食べて家に戻った。
そして最初の文章の「鬼はうちー」となったのである。

女優の水谷八重子が登壇して、餅をまく。

(おまけの話)
節分には恵方巻きを食べるという変な行事が流行っている。
私の子供の頃にはこんな習慣は無かったし、これは私がリタイアした頃に始まったように思う。元々は関西で静かに行われていたようで、一説によると不況の時に海苔屋組合が始めたという説もある。

次に袋入りの豆をまく。

インターネットで調べたら、なんとセブンイレブンが1998年に「恵方巻き」と命名し、大々的に売り出したことから、この変な習慣が広まったと分かった。
バレンタインデーはチョコレート屋の仕掛けだし、クリスマス・ケーキは不二屋の仕掛けであるように、いつの時代もイベントは商売がらみなのである

78歳にしては若い水谷八重子。

昨年の恵方巻きはいつもこのブログに登場する、同じマンションに住むバアチャンが買って来てくれた。今年は女房が我が家で作った。
中身は質素に卵焼き、キュウリ、焼きちくわ、鰹で、今年はこれに追加で三つ葉の入ったものを作った。

まあセブンイレブンに逆らっても大人気ないので、今年の恵方である南南東の方向に向ってひと切れだけ女房の手作りの巻き寿司を食べたのである。

私がゲットした水谷八重子の投げた餅。後ろの弁慶像は私の昔の作品。 

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伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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