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写真で見る東京(124)・・・都電「荒川線」

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少し目に読んだ本に「東京初空襲」の話が出ていた。また同じころにNHKテレビの「ドキュメント72時間」で大塚の「24時間営業」の本屋を取り上げていたので、この2ヵ所を見に行くことにした。

大江戸線の「春日駅」で降りて、都バスで「大塚駅」行きに乗る。
駅前には都電「荒川線」が走っていて、大きな町なのにのどかな感じがする。
名物のバラの季節も終り、黄色の花の前を都電がゆっくりと通り過ぎて行った。

 都電「荒川線」の「大塚駅」付近。

いつも大塚駅に来ても、ホームの反対側に行ったことが無かった。
「ドキュメント72時間」で取り上げられた「24時間営業の本屋」は、反対側にあるので初めて行ってみた。するとそちら側の方が近代的で、同じ町なのに「新旧」という感じがする。

「24時間営業の本屋」は右手にあり、すぐに分かった。
かなり大きな店で、中に入ってみたら「本屋のドン・キホーテ」という感じだった。
普通の本屋は整然とした感じがするが、この本屋は違う。

ところ狭しと並べられた本から、自分の希望の本を探し出すのが難しい。
この時も多くのお客が来ていて、AMAZONに負けていなかった。

  24時間営業の山下書店(大塚駅近く)

またホームの反対側に戻り、左手の都電「大塚駅」から都電に乗った。
大塚駅から14駅目の「熊野前駅」で降りて、プリントして持参した地図を見る。
「なぜ熊野前なのか?」が疑問で調べたら、「現在は無いが以前は熊野神社があったので、その名が付けられた」と分った。

またこの辺りは昔は「第2の浅草」と呼ばれるほど栄えた町だったそうだが、いまは面影もない。『1913年に現在の熊野前の碩運寺の住職が境内に井戸を掘ったところ、ラジウム鉱泉が沸き出し、そこで寺は「寺湯」を開業し人気が出た。・・・』

『そこから人が集まるようになり、温泉旅館が4軒、映画館、芸妓屋、料理屋などが次々と出来て花街となった』。 更に1936年には「阿部定事件」が起きて、世の中に「熊野前」の名前が知られるようになった。

「東京初空襲」の記念碑は、熊野前駅から300メートルくらいの「区立熊野前保育園」の壁の前にあった。この空襲は米機パイロットの名前から「ドーリットル空襲」と名付けられていた。1941年12月8日の日本軍による真珠湾攻撃から、わずか4ヶ月後の1942年4月18日に空襲された。

空襲は鬼怒川火力発電所を狙ったが、わずかに外れて住宅街に落ちた。被害は死者10名、重軽傷者48名、全焼全壊家屋52戸であった。碑文には次のように書かれていた。

『最初に被害があったのが、この付近の尾久町八、九丁目で、12時20分頃、ドーリットル隊の2機が爆弾3個と焼夷弾1個を投下した。当時、干潮時で、消化に隅田川の水を利用することはできなかったが、地域の人々の尽力により、13時50分に鎮火した』(長いので省略文)とある。

 「区立 熊野前保育園」の塀沿いの「東京初空襲」記念碑(左)

空襲を受けた場所のすぐ近くに、隅田川が流れている。
昔はこの辺りは工業地帯だったようで、現在は土手の下に大きな下水処理場がある。
大きな建物も無い地区で、隅田川のこちら側は荒川区で向こう側は足立区になる。

土手の上から荒川区側を見ると、かなり低い土地になっている。
これが「海抜ゼロメートル地帯」なのだと実感する。
でも土手がかなり高いので、まあ隅田川は氾濫しないだろうと思う。

 隅田川(土手の上から)

帰りはまた都電「荒川線」に乗り、「庚申塚駅」で降りた。
駅構内にある甘味処で「おはぎセット」(500円)を食べて、しばらく休憩した。
そして巣鴨地蔵通りを「高岩寺」のある「高岩寺」の方へと歩いて行った。

この通りは「おバアサンの原宿」と呼ばれているが、おバアサンの好みそうな店が並んでいる。でもこの日は最高気温が6.4度と低かったので、おバアサンは少なかった。
「高岩寺」の境内に入り「とげぬき地蔵」を覗いたら、かなり長い行列が出来ていたが若者ばかりだった。

 「とげぬき地蔵」のある「高岩寺」の山門

「巣鴨地蔵通り」の名物店「赤パンツ」のマルジも、それなりに賑わっていた。
「赤パンツを履くと、お漏らしをしない」と言われているが、「そうかなー?」と思う。
すぐ近くには同じ経営で「安物衣料品店」が2軒もあり、この通りの代表のように感じる。

おバアサンに人気の食堂「ときわ食堂」は、「カキフライ」(1200円)を盛大に宣伝していた。靴屋はやはりおバアサンの為に、「疲れにくい! 歩きやすい!」、「幅広甲高、外反母趾」を大きく打ち出している。
他の町では見掛けない光景なので、初めて来る人は見ているだけで楽しめそうだ。

帰りは都営「三田線」で「春日駅」に出て、また大江戸線に乗って家に帰った。
この日の交通費はシルバーパスで、無料だった。

 「赤パンツ」の「マルジ」(巣鴨地蔵通り)

(おまけの話)
「東京初空襲記念碑」を見た後に、近くの隅田川に行ってみた。
土手沿いに「枝垂れ桜」が植えられていて、そこに「むくどり」がたくさん止まっているのが見えた。「これはアート写真になりそうだ」と思い、そっと近づいて写真を撮った。

しばらくすると、「むくどり」が一斉に飛び立った。その方角を見たら、オヤジが餌を撒いていた。野生動物に餌をやってはいけない。
こういうオヤジがいるから、全国的に猿や熊が市街地に出て来るのだ。

 隅田川の土手の「むくどり」

隅田川の右手に「尾久の原公園」がある。特に遊具も無く、原っぱである。
中ほどに湿地帯があり、海抜ゼロメートルを感じさせる。
その先に水の張っていない浅い池があり、その中に大量のヒマラヤスギの「松ぼっくり」が落ちていた。私は「アート写真になるかも?」と思い、中に入り写真を撮っていた。

そこに男が近付いて来て、話し掛けて来た。そして『なにをしているのですか?』と聞かれた。私が『初空襲の場所を見に来た』と話したら、『飛行機が墜落した場所があり、記念碑もあるが見たいですか?』と言う。
私が『是非とも見たい』と言ったら、案内してくれることになった。

  ヒマラヤスギの「松ぼっくり」

この男は近所に住んでいるようで、話が好きで一方的に話し続ける。
彼の話は脈絡がなく、話がアチコチに飛ぶ。『10年前まで坊主をしていたが、首になった』とか、『京都まで歩いて行った』などの合間に町の観光案内をしてくれる。

特に特色のある町ではないので、説明を聞いても参考にならない。そして彼の住む4階建ての小さなアパートの前にも連れていかれた。結局はかなり遠まわりして記念碑の場所に来たら、私の想像とは違い空襲の際に撃墜された米軍機ではなかった。

記念碑には『わが国の初飛行は1910年のことで、徳川好敏大尉が代々木練兵場で高度70メートルで、約3000メートルの距離を飛んでいる。それから7年後にして尊い犠牲が生まれた。陸軍工兵中尉・杉野治義(27歳)が、陸軍野外飛行で下志津から高度500メートルで所沢へ帰航中、突風に襲われて尾久村の水田に墜落してのである。1917年3月25日、午前11時40分のできごとであった』と書かれていた。

 「杉野中尉殉難遺跡」(熊野前駅近く)

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伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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コメント(2件)

  • 「働け、働け、働け・・・」と叫んだ総理に倣った訳でもないだろうが、遂に本屋にも24時間営業店が生まれた。需要があるのかは疑問でもあるが、挑戦する意気込みに賛同する。買う目的の本が無くても、本屋へはフラ~っと入ってぶらぶらするのが好きである。新刊本のタイトルを眺めながら興味のある本の初めの2~3ページに目を通す。そんな時間の過ごし方が癒しとなっている。

  • このブログを長く読んでいると、東京の魅力、面白さは、江戸時代、明治大正、昭和、プラス現代の重層的な歴史がそうさせているのだと、納得させられます。 とても一言では表現できない、一目ではわからない、ましてや、外国人観光客などには探りえない宝の数々。寺や神社や祭りや習慣や古くからの言い伝えや、季節の行事、そこにしかない名物。 そして世界最新のファッションやアートにグルメ、 イヴェント、公園、庭園、公共交通機関。 それを総じて、文化、というのでしょう。 
    こんなに奥深い大都市というのは、世界でも稀でしょう。 そんな東京の魅力を常に発信し続けてくださり、ありがとうございます!

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