【野見宿禰神社】
少し前に両国の「相撲博物館」に行った時に、そこに置いてあった「野見宿禰神社」と書かれたパンフレットをもらって帰った。「宿禰」は読めなかった。
そこで「宿禰」をコピペしてYAHOOで検索したら、「すくね」と出ていた。
初めて見る単語なのでその意味を調べてみたら、「古代日本における称号の一つで、後に姓の一つになった。大和朝廷初期には武人や行政官を表す称号として用いられ、物部氏や蘇我氏などの祖先に与えらた」とあった。
神社の場所は大江戸線「両国駅」から北斎通りを歩いて、5分くらいのところだった。
思ったより小さな神社で、境内には大きな相撲取では何人も入れない。
壁にお参りの作法は「二拝 四礼 一拝」と書いてあった。珍しいと思ったが、出雲大社と同じだった。

【すみだ北斎美術館】
野見宿禰神社の手前に立派な「すみだ北斎美術館」がある。
以前に中に入って浮世絵を見たことがあるが、今回も立ち寄ってみた。
すると「折り紙、紙芝居 無料開催中」と出ていたので、部屋を覗いたら係の女性に誘い込まれてしまった。
紙芝居は小さな絵で、北斎の書いた「塵劫記」という物語で、なんだかよく分からなかった。続いて折り紙が始まったが、四角の紙を折って、それを箱型にするイベントだった。
机の上に置いてあるQRコードを読み込むと、折り紙の手順が動画で見られるようになっていた。しかし動画は動きが早過ぎて何度も巻き戻したが出来ず、係の男性に手伝ってもらいやっと完成した。

【折り紙】
出来上がった折り紙の箱を家に持ち帰ったら、かなり出来が悪いのでやり直すことにした。折り目も付いているから、自分で出来ると思ったのが大間違いだった。
その時、開いた紙の端にQRコードがあり、そこから呼び出した折り方は動画ではなく静止画の手順であった。
綺麗な四角形に作り上げるには、折り目を強く押しておかなければ駄目だ。
静止画だからよく見れば出来ると思ったのが大間違いで、立体にするところで行き詰った。何度もやっている内に、どうやら完成出来た。説明書が悪いのか、私の理解度が足りないのか? まあ頭を使ってボケ防止には、少しは役立ったようだった。

【街路樹にギンナン】
浜町公園から人形町に「金座通り」を歩いていたら、街路樹のところにオバサンが3人でなにかを取っている。近付いてみたら、小さな黄色い実であった。
「なんだろう?」と思い、私はオバサン達に聞いてみた。
私 『これはなんですか?』
オバサン 『これはキンカンです』
私 『食べられるのですか?』
オバサン 『甘くて美味しいですよ』
私 『でも小さいですね』
オバサン 『肥料をやらないから、大きくならないのでは?』
彼女達は近所の人らしく、毎年、この時期にはキンカンを取りに来ているようだった。
街路樹にキンカンは珍しい。

【石原裕次郎 生誕90周年記念】
ラジオを聞いていたら、石原裕次郎の「生誕90周年」のイベントが渋谷の西武デパートで行われると知った。私は特に裕次郎のファンではなかったが、どんなことをやるのかと思い出掛けて行った。
相変わらず外国人観光客で賑わっている渋谷スクランブル交差点を渡り、すぐ左手が西武デパートである。西武とそごうは2006年に合併しセブン&アイHDの傘下に入ったので、「SEIBU」と「SOGO」の2つの名前が出ていた。
2階に上がると、イベント会場があった。入場は無料であるが、お客は私を含めて4人しかいない。店員の数の方が多い。裕次郎の生誕90周年ともなると、もう彼の名前を分かる人は少なくなった。多くは鬼籍に入ってしまった。今回のイベントで主催者は懲りて、100周年はやらないだろう。

【メタセコイアの森】
そろそろ築地の「あかつき公園」のメタセコイアの葉が落ちて、一面の茶色の絨毯が出来ている頃だと思って見に行った。この日は朝から強風が吹き、マンションを出たところでビル風で飛ばされそうになった。
江戸バスに乗り公園近くで降りた。
公園に入ると、正面のカリンの木の実が残り少なくなっているのが見えた。
目的のメタセコイアは、やはり葉が落ちて林全体は隙間だらけになっていた。
ところが近付いてみたら大量の葉が落ちているのだが、強風で飛ばされて絨毯になっていなかった。少し太い枝も折れて地面に落ちていた。
自然観察は、なかなか自分の思うようには行かないものである。

(おまけの話)【義士パレード】
12月になると町はクリスマスセールだが、日本的な行事では「義士祭」がある。
四十七士が討ち入りを行ったのは、1702年12月14日であり、その日を記念して全国各地で「義士祭」が行われている。東京では中央区から泉岳寺まで、毎年、パレードが行われている。
以前は中央区役所が出発点で、区長も築地川銀座公園まで参加していたが、現在は歌舞伎座前が出発点となっている。
昨夜から降り続いている小雨は、降り止む気配がない。最高気温は10度と、かなり寒い。
予定時間の12時に歌舞伎座前に行ってみたが、義士は誰もいない。中止かもしれないとガッカリした。

私は10年以上も前のまだ元気だった頃、両国の吉良邸跡から泉岳寺まで2回に分けて1人で歩いたことがある。今年の義士祭のパレードのHPを見たら、既に70年の歴史があり「参加者募集」があった。「参加料は1万5000円、衣装貸出し、写真撮影費込み」とあり、次のような心得が書いてあったのが可笑しかった。
『赤穂四十七義士の精神に敬意を払い、行進中は「武士になった気持ちで気を引き締めて」ご参加下さい』。
パレードは正午過ぎに歌舞伎座前を出発し、泉岳寺には午後3時半頃に着くようだ。
私は軽くランチを食べてから、もう一度歌舞伎座前に行ってみたら義士達が集合していた。しかし47人には何人か足りない感じだが、外国人が数名、参加していた。

12時50分頃になり、記念撮影後に四十七士はパレードを始めた。
歌舞伎座前から昭和通りを越して、三越デパートの前を通過し、4丁目交差点で反対側の歩道に行き数寄屋橋方面に進んで行く。
行き交う外国人観光客たちは事情を知らないので、びっくりして写真を撮っている。
パレードは寒さのせいか、進むスピードが速い。参加者は高齢者が多いので、泉岳寺まで行けるかと心配になった。義士の1人に聞いてみたら、『ヒートテックの下着を来ているが、足元が冷たい』と言っていた。
数寄屋橋交差点を左折したので、寒くて堪らず私はここで伴走を止めにして家に帰った。
\ この記事をシェアする /
北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
- アクセス総数
- 1,541,500回

我々の世代にとって「石原裕次郎」はやはりヒーローである。北の旅人」を持ち歌としてカラオケ大会に出場したほどに好きな歌い手でもある。
テレビドラマでは西部警察はその頃としては破格のエンターテイメントであった。派手に車をぶっ壊して暴れまくる警察に心を躍らせたものである。その為か今は警察24時のパトカーのサイレンに胸が躍る。日頃のストレスを発散するには丁度いい。
ギンナンはイチョウの実ですよね。写真の実はなんだかキンカンのように見えます。
先日、近所の子供に折り紙の鶴を折ろうとしたら、なぜかできない。子供時代から鶴だけは簡単に仕上げたというのに。それで、YOUTUBE の動画を開いて見たが、一番あいまいで知りたい大切な箇所が、ササっと進んでしまって、何度も見直さなければならなかった。時々、わざとわからないようにしてるのではないかとさえ疑う時がある。できない者の妬み?
間違えました。キンカンです。