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三ノ輪橋を歩く

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そろそろ都電「荒川線」のバラが咲いている頃だと思い、ネットで調べてみた。
すると丁度、見頃のようなので、11月4日に出掛けて行った。

今までは都電「荒川線」の終点の「三ノ輪橋」に行くには、大江戸線「勝どき」→(地下鉄)→「上野御徒町」→(都バス)→「大塚駅」→(都電・荒川線)→「三ノ輪橋」で行っていた。しかしこの方法はかなり時間が掛るので、別の方法を考えた。

それが都バス「新島橋」→(東京BRT)→「新橋」→(地下鉄・浅草線)→「浅草駅」雷門前→(都バス)→「三ノ輪橋」である。これだと30分くらい少なくて済むようだ。

 「三ノ輪橋商店街」

古い暗い「三ノ輪橋商店街」を入ると、左奥に都電荒川線の「三ノ輪橋駅」が見える。
この商店街は歴史のある古い商店街のようだが、今では商店街と名乗るほどの店は無い。商店街の長さも100メートルに満たないが、途中の右側に「都電屋」という名のカフェがある。

私は数年前に入り店主と話をしたことがあるが、彼は「都電大好き男」だった。
2階には宿泊できる部屋もあったが、今はどうなっているか分からない。
あの時も今もお客はいない。でもそれにしては、「5年間もよく潰れなかったなー」と感心する。

 カフェ「都電屋」

「三ノ輪橋商店街」を抜けて、先ずは「三ノ輪橋駅」に行ってみる。
バラを売り物にしている荒川線であるから、終点駅の「三ノ輪橋駅」はバラの数も多い。
だがバラは春は花も多く豪華だが、秋のバラは数が少ない上に花も小さい。

1年に2度も咲かすのは無理があるのではないだろうか?
都電は5分おきくらいに、次々とやって来る。電車のデザインも色々あるので、見ていて楽しい。

 都電/荒川線「三ノ輪橋駅」

ホームの横の木の塀に、今では珍しいものを見付けた。
それは「ホーロー看板」で、商品名と宣伝文句が面白い。

「他品の三倍もつ 亀の子束子」、「元気ハツラツ オロナミンC」、「牛肉野菜入り ボンカレー」、「アサヒ 自家タビ、運動靴、ゴム靴」、「ヨクキク 金鳥かとりせんこう」、「ヨクキク 強力殺虫剤 キンチョール」の6枚が飾ってあった。

若い人は知らないと思うが、「ホーロー看板は、1888年から1889年頃に誕生し、明治・大正・昭和中期まで商品宣伝の主流だった。金属板にガラス質の釉薬を焼き付けて作られるため、耐久性に優れている。かつては街頭や商店、民家の壁など、日常のあらゆる場所で見られた看板」だった。試しにYahoo オークションで調べてみたら、1枚1万4000円くらいだった。

懐かしい「ホーローの看板」

その看板の横に、可笑しなものを見付けた。
「警告 この場所での寝泊まりを禁じます 東京都交通局・荒川区」という看板だ。
私の見たところでは、寝泊まり出来るような場所ではない。

考えられるのは「バックパッカー」か? 或いは「ホームレス」か?
私の想像では「バックパッカー」の可能性の方が高い。

 三ノ輪橋駅の「警告」

三ノ輪橋には「ジョイフル三ノ輪」という、名前だけ洒落ているアーケードの商店街がある。ところが全然、お洒落とは程遠く、全くの下町の商店街である。
ここのHPを見たら『昭和の心を今に伝える、ジョイフル三ノ輪商店街へようこそ』とある。

また『東京でも屈指のレトロな商店街である。昔ながらの町並みは「万引き家族」、「3年B組金八先生」、「三匹のおっさん」、「日本一最低男」などの作品のロケ地となった』とも紹介している。最近はインスタで見たのか、「ディープ東京」を探しに、少しだが外国人観光客も来るようになった。この時も白人男性4人組が、珍しそうに店を覗いていた。

  「ジョイフル三ノ輪商店街」

この秋のバラは寂しいくらい少なく小さい。
いつもなら「荒川車庫前」などのバラがたくさん咲いてい場所に行くのだが、今回は止めにした。そして三ノ輪橋駅の近所の線路沿いを、バラを探して歩いて行った。
すると1人がやっと通れるほどの狭い線路際の道路に、黄色い花が咲いているのが見えた。

近付いてみたら、この季節には時々、見掛ける「キダチチョウセンアサガオ」だった。
いつもは「バラと都電」だが、これも悪くないと思った。
またの名を「エンジェルス・トランペット」と言うそうだが、いい名前だ。

 都電と「エンジェルス・トランペット」

(おまけの話)
三ノ輪橋のバス停は日光街道に面している。
そこから少し北千住方面に歩くと、左側に曹洞宗のお寺「円通寺」がある。
境内の左側の囲われた場所に黒い大きな門と、いくつかのお墓があるのが見える。

そにある黒門は元々は上野寛永寺に建っていたもので、慶応4年(1868年)に彰義隊が新政府軍と戦った上野戦争の際の激しさを今も伝えている。それが黒門のところどころに見られる弾痕の跡である。この黒門は円通寺の住職が彰義隊の遺体を埋葬し供養したのが縁で、明治40年にここへ移設されたのだそうだ。135年前の弾痕跡を見るのは、なにか不思議な感じがする。

 弾痕が残る「円通寺」の史跡「黒門」

【コロッケパンとバラとレトロ商店街】
今回の目的のもう1つに、実はコロッケパンがあった。
NHKテレビ「ドキュメント72時間」で、三ノ輪橋近くのコロッケパン屋「青木屋」を取り上げていた。かなり前に私は青木屋に行ってコロッケパンを買った覚えがあるが、テレビで見たらまた行きたくなった。

青木屋は円通寺の少し先の交差点を、左に曲った右手にある。
昔ながらのコッペパンに2つのコロッケが挟んである。1つ330円で、1つ食べれば満腹になる。私はコロッケパンを1つ買って、都電の横の狭い道で、都電の来るのを見ながら食べた。

ここのコロッケはジャガイモだけなので、私は出来たら「ひき肉、刻みタマネギ」が欲しい。キャベツもあった方が良いと思う。

「コロッケパン」(青木屋)1つ330円

「ジョイフル三ノ輪商店街」をブラブラした。観光客にはレトロはいいかもしれないが、住民にはどうか? この辺りにはスーパーマーケットは無い。だから住民は北千住に買い物に行ってしまうのではないかと思う。

商店街の中ほどにある八百屋の店頭に、私の朝食に欠かせないグレープフルーツが売られていた。値段を見たら、驚きの1個50円だった。私は「エー!間違いじゃないの?」と思ったが、間違いではなかった。
それは「訳アリ商品」で、圧し潰された形だった。これが「訳なしなら285円」はする。

手に取って確認したら傷んではいなかった。そこで重いのを覚悟で、4個だけ買って帰った。翌日の朝に食べてみたら、特に問題は無かった。やはり庶民の町は、勝どきとはどこか違う。

 「グレープフルーツ」(1個50円)

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伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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コメント(2件)

  • 昔は何処の街でも「商店街」がありました。私の母親もその中でお店を開き私たちを育ててくれました。私も会社を辞めて独立した頃に少し手伝いをしてましたが、近くに大型ストアーが出来てからその商店街にあった八百屋、魚屋、雑貨屋、洋品店などが段々姿を消して、我が家のお店も業態転換を止む無くされてしまいました。
    今も残る数少ない各地の商店街は相当の努力を重ね、周辺の住民の商店街を愛する心持ちによるものが大であると考えます。

  • 昭和30年代の商店街は、楽しく威勢よく満員盛況でした。学校から帰って、母の買い物の荷物持ちとしてよく行きました。最寄りの商店街は、地蔵通り商店街といって、文京区と新宿区との区境いである、江戸川橋、山吹町、鶴巻町、石切橋、あたりの住民の、生活の大事な中心地でした。玉子だけを売っている店、煮豆だけを売っている店、など今思うとよくそれだけで採算がとれていたものだと思うと同時に、実になつかしく思い出されます。

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