MENU

写真で見る東京(117)・・・佃島を散策

22
2

テレビで「金木犀(きんもくせい)」の報道を見たので、佃島でそろそろ花が咲く頃だと思い様子を見に行った。佃島という場所は清澄通りで説明すると、私の住む「勝どき」の次が「月島」で、その先が「佃島」である。古くから「佃煮」で有名で、今でも3軒の店がある。

この辺りは資料によると『延宝7年(1679年)の「江戸方角安見図鑑」には、東西二島に分かれた佃島に入堀があり、現在とほぼ同位置に橋が架けられています。現在の佃小橋は昭和59年(1984年)に完成した橋で側面はアーチ状の石張りが施され、朱塗りの高欄と擬宝珠により古風な雰囲気を感じられます』と書かれている。

清澄通りから隅田川に向かうと、赤い橋が見えて来る。橋の名は「佃小橋」である。
橋の下は水路の「佃川支川」である。

 「佃小橋」

佃小橋の上から水路を見下ろしたら、なんだか水面が騒がしい。
下の遊歩道に降りてみたら、小さな魚が群れをなして泳いでいた。
水面に太陽の光が反射してよく見えないので、場所を移した。

すると少し離れた場所には、大きな魚も泳いでいた。
これは多分であるが、「ボラ」ではないかと思う。
身近な場所で、魚を見られるのは嬉しい。

 「ボラ」かな?

また橋に戻り反対側を見る。そこには数隻の漁船が係留されている。
その右手には囲われた場所があり、住吉神社の祭礼に使う「抱木」が埋められている。
住吉神社は3年に一度の例祭があり、その時に建てられる大幟の竿や台座となる抱木と呼ばれる巨大な木材を、ここに埋設している。

橋の上から見ると立札があり、そこには『この場所には江戸時代後期寛政拾年(1798年)、徳川幕府より建立を許された大幟の柱・抱が埋設されておりますので、立ち入ったり掘り起こしたりしないで下さい。佃住吉講』と書いてある。

佃小橋 の上から右手に漁船が見える(佃川支川)

佃小橋を渡ると、そこは昔の佃の町である。
すぐ右手には 中華料理店「麗江」(リージャ)があり、店頭に陶器の酒樽が並べられている。私は酒を飲まないので、よくは分からないが「紹興酒」の樽なのか?

かなり前に1度だけ、この店で食事をしたことがあるが席数は24である。
「麗江」というのは雲南省の都市の名前なので、料理は雲南料理だったかもしれない。

  中華料理店「麗江」(リージャ)

中華料理店「麗江」のすぐ先を右に入ると、住吉神社に突き当たる。
でもこちら側は裏門で、正門は隅田川の方から入る。
以前は隅田川に「渡し」があったので、そちら側に鳥居もあるので正門なのだろう。
ここには何度も来ているし、お祭りも楽しみだ。

私の住むマンションのすぐ近くに、お祭りの時に神様が泊まる「お旅処」もある。
いつも住吉神社に来た時は手水舎で、四面に彫られた船に乗った漁師の彫刻を見るのが楽しみである。

彫刻が素晴らしい手水舎(住吉神社)

住吉神社を正門側から出ると、すぐに隅田川に出る。
突き当りを右に曲がり小さな橋「住吉小橋」を渡り、T字路に突き当たる。
そこを右に曲がると両側に数本の「金木犀」の木が植えられている。

甘い香りが周囲に漂っている。でも強烈ではない。まだ満開には少し早かったようだ。
以前に住んでいた家の庭にも大きな「金木犀」が植えてあり、それで季節を感じたものだった。

「金木犀」の花

「金木犀」の香りを楽しんだ後に、また隅田川に戻る。
ここから高級マンション群「リバーシティ21」の敷地となる。
石段を降りて隅田川の遊歩道に出る。

途中の右手に、両手で帽子を突き上げた少女像が立っている。
以前からこの少女像が気になっていたので、今回は作品名と作者を調べてみた。
しかしいくらネットで検索しても出て来ない。いつまでも、誰が作者か気になって仕方ない。

隅田川に向かって立つ少女

(おまけの話)【岸辺の生き物】
そのまま遊歩道を進むと、「中央大橋」の下を通過して佃島の先端に出る。
この遊歩道は幼稚園児の散歩や、ジョギングの人達が多く見られる。
前方には永代橋が見えていて、その奥に東京スカイツリーも見える。
隅田川との間に岸辺が作られていて、そこは水鳥の天国となっている。

 岸辺を散歩

春先には「カルガモ親子」の姿が見られる。母鳥の後に続いてヨチヨチとあるく小鴨が可愛い。岸辺に降りて小魚とか蟹がいないか探してみたが、この時は見付けられなかった。

コサギが離れて3羽見える。歩きながら岸辺に嘴を突っ込んでいる。
なにか小魚でも捕まえたのだろうか?
いつもは「アオサギ」なども見掛けるのだが、この時はカラスと野鳩だけだった。

「こさぎ」

更に進んで「相生橋」方向へ向かう。
右手の土手に植えられた桜が満開になると、そこは桜のトンネルになる。
左手は隅田川と佃島の先端で枝分かれた支流で、そのまま流れて「朝潮運河」となり、マンションの裏を流れて東京湾に注ぐ。

その支流との境は鉄板で仕切られているが、ところどころで隙間を作り魚や鴨が入れるようになっている。
相生橋に近いところには「浮島」があり、小さな木が植えられていて浮かんでいる。
ここに春になると「カルガモ」の親子が来て休憩するのである。
佃島は作られたものではあるが、多くの自然がある。

  木を植えた「浮島」

\ この記事をシェアする /

伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

アクセス総数
1,528,860回

コメント(2件)

  • 昔と今、自然と人工物、鳥と人等々共に仲良く「共存」することが出来るようになってきた。相手を尊重することが「共存」を可能にしているのだろう。すべてを破壊し、新しくすることが発展と勘違いしていたバブル時期を通り越して今では過去の素晴らしさを認識して「共存」する事を知ったのは人間の知恵であろうか?

  • 佃島を詳細に観察、私も一緒に歩いているような感覚で、記事を楽しみました。

コメントを書く


心の伊達市民 第一号TOPページに戻る