【長寿社会の果てに】
マンションの友人Xさんが高級老人ホームに入り、認知症が更に進み車椅子生活になってしまった。まだ私のことは分かっているが、その内に分からなくなる日も来るかもしれない。これだけ身近かに認知症の人がいたのは、私には初めての経験だった。
Xさんは私より5歳くらい年上のはずだ。私の5年後は大丈夫だろうか?
最近の私は「長生きのリスク」を、常に非常に感じるようになっている。

そんな時に録画しておいた「NHKスペシャル」で放送された、「長寿社会の果てに~人生最後の希望」という番組を見た。内容は在宅医療に取り組んでいる「市橋 亮一」という医師が「安楽死」に付いて考え、先進国のヨーロッパを訪ねる。
一方で自分が関っている日本での患者も登場し、最後まで希望を持たせる活動をしている。この番組を見て、私は色々と考えさせられた。
私と女房は10年以上も前から「日本尊厳死協会」のメンバーになり、死の間際の無駄な治療は拒否を表明している。「酸素吸入」や「胃ろう」などせず、口から食べられなくなったら、自然に死んで行きたいと思っている。

時を同じくして、日本尊厳死協会から季刊誌「Living Will」の10月号が送られて来た。
ところで「尊厳死」と「安楽死」は、全く違うものである。
尊厳死は文字通り「尊厳を持って死ぬ」ことで、安楽死は人工的に死を行うことである。
ヨーロッパの多くの国では「安楽死」が法律で認められているが、日本では殺人罪になってしまう。私は「治る見込みが無く、苦しむだけなら安楽死を認めるべき」と思っている。

「Living Will」の中の記事で、ノンフィクション作家の柳田邦男氏と、ソプラノ歌手の鮫島有美子さんが話している。
柳田邦男氏は『コロナ禍での別れは異常なもので、専門病棟に隔離され、面会も付き添いも出来ない。看取りさえも出来ない。別れの言葉もかけられない。お互いにさよならのメッセージも交換できない。人は物語を生きている。その物語の最終章を自分で書けないということは、人間の尊厳が損なわれたことだ』と言っている。
私も親しい友人をコロナで失ったが、葬儀に参列しても全員がマスク姿で、私は遠くから骨壺に入った友を見るだけだった。

もう20年も前のことだが、私は北海道伊達市で親しくなったお医者さんのところに女房を定期検診に連れて行った。その時に医者から『あなたもついでに腫瘍マーカー検査を受けてみたらどうですか? PSA値で癌が分かります』と言われた。
全くその気は無かったが、『簡単ですよ』の言葉で受けることになった。
しばらくして結果が出て、『残念ながら前立腺癌です』と言われた。
でも自覚症状など全く無かったし、父も姉妹も癌患者だったので特別にショックではなかった。東京に戻ってから「小線源治療」という放射線を放出するヨウ素125線源を前立腺内に埋め込む手術をした。

そんなこともあるので、私は父と母の亡くなった年齢を足して2で割った「71歳」で死ぬと決めていた。だから61歳で引退し、そらからの10年を大いに楽しんだ。
ところが予想外に長生きしてしまうと、この後のことが心配になって来る。
「ボケないか?」、「資金は間に合うか?」、「1人だけ取り残されないか?」、「寝た切りにならないか?」など考えると、かなり心配になって来る。
私は女房より先に逝くと決めていたのだが、逆になったらどうしよう?

数年前にはたまに出先で胸が苦しくなり、道路にしゃがみ込んだことが数回ある。
その時の私は『これで死ぬんだな』と思うのだが、数分経つと治ってしまう。
ところが最近は全く、そのような症状が出なくなった。それで私は困っている。
長寿は人間の望みだったのに、今では高齢化社会の出現で、「認知症」、「老々介護」、「介護殺人」まで起きるような世の中になってしまった。「長生きはリスク」と以前から言っていた私の言葉が、最近は現実となった。
「長寿社会の果てに」、果たして何が待っているんだろう?

(おまけの話)
よく「死に目に会う」という言葉を聞くが、「死に目とは何だろう?」と思い調べてみた。
すると解説では『肉体的な生命活動が停止する瞬間に立ち会うこと、臨終の場に居合わせること』とある。
私の父は病院で亡くなったので、その時は病院から連絡があったので、死に目には会っていない。母は朝起きて来ないので親族が見に行ったら、ベッドの脇でトイレ帰りに亡くなっていた。だからどちらの死に目には会っていない。
他にも多くの人を見送ったが、死に目に会ったことはない。

伊達市で親しくしていた友人達も、多くが亡くなってしまった。
過去に死ななかった人はいないのだから、時期が来れば人は死ぬ。それはその人の運命であろう。私は引退後は、かなり好きなことをして過ごして来た。
でもその時間が長過ぎたせいか、もう「食べたいものも無い」、「行きたいところも無い」、「やりたいことも無い」という状態になってしまった。私より若い友人達が外国へ行ったり、美味しい食べ物の話をしていても、全く羨ましく思わなくなってしまった。
普通はそうなると「人生が終る」のだが、困ったことに私の場合は終らない。

マンションの友人が自分が読み終った、「もの忘れ外来~認知症専門医が教える予防と対策のコツ」という本をくれた。彼は私が少しボケて来たと思ったのだろうか?
中央区保健所から「高齢者インフルエンザ、新型コロナウィルス感染症 予防接種予診票」が届いた。その少し前には「健康診断・がん検診等・受信券」が送られてきている。
またその前には「高齢者歯科健康診断 無料受信券」が送られて来ていた。
私は「具合が悪くなったら病院に行く」と思っているので、もう40年以上も健康診断は受けていない。まして「長生きはリスク」と思っているのだから、わざわざ病気を探してもらう必要は無いと考えている。

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北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。
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「寿命」とは「おめでたい命」と解釈しているが、寿命が尽きることは「おめでたい」ことなのだ! 人は必ず死ぬものだから、そのこと事態は避けられないと誰しも考えているはずである。しかし「死」=「寿命が尽きる」ことを何故か怖がってしまう。自分を取り巻く世界から永遠に離れてしまうことの恐ろしさを漠然と感じているのだろうか? この世とサヨナラすることがそんなに恐ろしい事なのか?
死後の世界を知り、楽しみが待っている事が判れば、サヨナラもまた楽しいのだが、、、
死後があるから、死んだらまた次の章を楽しみましょう。
しかし、死ぬ前のことが怖いです。死そのものが怖いよりむしろ、死に至るわずらわしさ、治らぬ病気と長年付き合う、他人に迷惑をかける、みすぼらしくなる、などがゆっくりと自分を責めてくるそのプロセスが怖いです。
理屈からすると、死後の世界があるかどうかは別として、自分は自分の死を自覚できないのだから、自分にとって自分の死というものはない。自覚できない。つまり死という存在は他人にしか認めることはできない。ということは自分の死はあるかどうかもわからない、自分にとって想像の産物となる。ということは残されると想定される、人を含めたそれまで自分が広げていた世界も、想像の世界の延長となるわけだ。つまり果たして自分の世界がなくなる状況でその自分のいたとされる世界は、そのまま残ったままなのだろうか?ということ。もしかしてそのときが来るならば、そのときにそれも一緒に閉じてしまうのではないかとも想像もできる。となると、何を心配するのか?多くの人は死後もそれまで存在していたと信じていた世界が続くという見方を前提に想像するが、自分(の意識)こそが(自分固有の)世界を広げているという立場にたつこともできる。このことは昔からいろんな人が考えてきたことで、まあその答えはそれこそその人にとって固有の世界で正解があるということなのでしょう。いずれにせよ想像上にしか存在しない自分の死やその後の世界の実態は死んでもわからないわけで・・・