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思い込んだら・・・・

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ブログ閉鎖中の話題(2015年10月5日)

人は「思い込んだら命がけ」という理不尽な行動をする動物のようだ。相変わらず「振り込め詐欺」に引っ掛かっている高齢者がいるし、怪しげな宗教に嵌ったり、年率30%の利回り投資などに騙される人がいる。親切そうな人、お金持ちに見える人、上品そうな人には思い込むタイプの人は騙され易いようだ。

*今回の写真は9月28日の東京のスーパームーンです。

夕日が沈み・・・・

今の時代は雑誌でもテレビでも、年寄り同士の会話でも「健康」がキーワードで、健康食品、スポーツジム、ヨガ、ダンス、無農薬などという言葉が踊る。そういう人達の行動様式を見ていると、なぜか「健康のためなら死んでも良い」という風に感じてしまう私はひねくれ者か?

西の空が赤くなり・・・・

私は大学1年生の時に友人に誘われて、1960年の岸内閣の時の「安保反対」のデモに参加した。今になって考えると、全く何も分っていなかった。そもそも「安保条約」の内容も知らないで、国会に押しかけて「ハンターイ!」と叫んでいたのであるから、バカな大学生だった。先日の「戦争法案反対!」を見て思い出した。

飛行機が夕焼けの雲を切り裂く。(下方の光が航空機)

私の若い頃は当たり前だったことが、今では違って来ている現象がある。
「男は学校を出たら働く」、「収入が安定したら結婚する」、「子供を作る」、「年老いた両親の面倒を見る」などは今は当り前ではなくなってしまった。

「収入より自分の好きな事を選ぶ」、「男同士で結婚する」、「子供は作らない」、「職を失ったら両親の年金を当てにする」。
これ等に関しては私の若い頃の思い込みの方が良かったと思うのだが・・・。偏見かなー?

暗くなり、東京タワーがライトアップされた。

私の若い頃は夏でも冬でも、毎週日曜日には早朝からゴルフに行っていた。そんな時に道で出会うのは、釣りに行く人か、ウォーキングのジジイだった。 冬の寒い朝に「何を好んで歩いているのか?、そんなに長生きしたいのか?」と思っていた。

ところが自分がその年になって、やっと分かったのである。
長生きしたくて歩いていたのではない。最後まで健康でいて、ポックリと逝きたかったのだと・・・。思い込みで失礼なことを思っていて、申し訳なかった。

午後7時近くになり、東の方向のビルとビルの間にスーパームーンが現れた。

このマンションでも福島原発の事故の後に、2年間も家族でマスクをしていて、私に会う度に「あなたはなぜマスクをしないのか?、ここは放射能に汚染されているのを分らないのか?」と言っていた男がいる。最近、彼に会ったが、「もうマスクはしないの?、汚染は大丈夫になったの?」と聞きたいのを我慢している。

スーパームーンが赤く光る。

日本は世界一の長寿社会となった。
以前は「長寿は良いことだ」と思われていたが、みんなが長寿をするようになり、それが理由で誰も考えてもいなかったような問題が多く発生するようになった。あの頃、信じていた「長寿は良い」という思い込みは、どうやら間違いだったようだ。「思い込む」ということが起きる最大の理由は、「知らない」ということのようだ。

スーパームーンはどんどん昇って行く。

(おまけの話)
人が思い込む理由の多くは教育にあると思う。
ベトナムから日本に来た実習生や留学生と話していると、それを感じる。
彼らの母国では共産主義の教育を受ける。
「なんか変だなー?」くらいは感じるようだが、確認の術が無い。

薄い雲が出て来たが、まだ大丈夫。

それが日本という自由な国に来て、その違いに驚く。日本では国民が平然と政府を批判したり、時にはデモまでする。そんな光景を見ていると段々と考えが変り、親しくなるとベトナムでは話すことも出来ない政治や不満の話も出る。
こんな話は決して母国では出来ない。

薄い雲の先には、もう雲は無い。

私は「外国へ出る人が増えると国内に情報が入り、少しずつだが民主化する」と話すのだが、彼らは「とてもそうは思えない」と言う。最近の日本旅行ブームで、中国人や韓国人も日本を生で体験して、母国での日本に対する偏向教育が間違っていると悟ってくれるといいのだが・・・・。

でも、彼らが母国で日本賛美を言ったなら、半殺しに遭うだろうなー・・・。それが悲しい。 私は日本に生れて良かったなー。

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伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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コメント(1件)

  • 「ご長寿を寿ぐ」企画は老人会にとっては定番の企画であるが、最近はその企画にすら参加しない「ご長寿」さんが増えている。人生100年時代には長寿は当たり前になった。今更「ご長寿」を祝ってもらう必要がなくなったらしい。「ご長寿」である意味は「健康」である必要がある。健康で尚且つご長寿であることが今の我々の目指すところである。

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