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人生万事塞翁が馬

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ブログ閉鎖中の話題(2015年9月03日)

今日になって、ネタ切れの時の為に書き溜めておいたブログがやっと送信できた。
その時はもう、下の写真にある蓮の花の季節は終っていた。

年を取ったせいか、「日本に生れて良かった」と思う機会が多くなった。
今までの人生を振り返ってみても、「可もなく、不可もなく」のように思う。
外国人の考える幸せな生活とは、「アメリカの給料をもらい、中国人のコックを雇い、イギリスの家に住み、日本人の妻を持つ」ことだと聞いたことがある。

(写真は上野・不忍池の自然です)

その逆で、「中国の給料をもらい、イギリスのコックを雇い、日本の家に住み、アメリカ人の妻を持つ」は最悪である。その4つの中の「日本人の妻を持つ」と、「中国人のコックを雇い」に相当する「料理研究家」の妻を持った私はかなり幸せと思わなければならないのだろう。

幸せというのは、他者との比較で感じられるもののようだ。
周りが金持ちばかりだと、少しばかり金があっても、自分は不幸せに感じてしまう。そういう人はベトナムの田舎に行くと良い。 自分がどんなに幸せかを実感できる。

たまに病院に行くと、病人が多いのに驚く。
そんな時は自分を健康な体に生んでくれた母に感謝するのだが、家に帰るとすぐに忘れる。ボケの友人を見て自分はボケていないと感謝するが、妻はそうは思っていない。

引退してしばらくすると自分の行く末も見えて来るし、欲望も無くなって来る。
女房によく聞かれる。「夕食は何を食べたいの?」。
これには困る。何でもいいのだから・・・・。

食事を作る方からすれば、メニューを考えるのが面倒だし、どうせなら亭主が食べたいと言っているものを作るのが良いと思うからであろう。

「食べたいと思うものが無くなり」、「行きたい場所が無くなり」、「やりたいことが無くなり」、もうお迎えを待つばかりとなった。
準備は出来ているのに、アチラからは「まだ早い」と言われていて、どうにも困っている。そんな状態を幸せと言うのだろうか?

(おまけの話)

現役の時に、私が親しくしていた2人の外注先の会社の社長がいた。
1人は塗装業のAさんで、もう1人は機械加工業のBさんだった。
Aさんは世間でいうところの「怠け者」であった。
仕事が嫌いで、会社を社員に任せて1年間も南太平洋の島に遊んだ。

Bさんは真面目だが、遊びと派手なことが好きだった。彼は知り合いの男に騙されたような格好で、商売違いの新会社を作り、あっ気なく倒産した。
偶然だが2人は同じ頃に倒産し、長野県と新潟県に引っ込んで、今は静かに暮らしている。

今から考えると、2人は自分の好きなことをして来た。倒産というのも考え方だが、「倒産したから、田舎で静かな生活が出来ている」とも言える。
幸せとは他人がどうこう言うことではなく、自分で感じるものだろうと思う。

時々、この2人を思い出し懐かしがっている私だが、その機会を与えてくれた2人によって、私は幸せな時間をもらっているとも言える。

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伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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コメント(2件)

  • 10年前には「中国の給料」をもらう事が不幸の極みであったらしい?が、今日本へ押し寄せる中国資本の脅威は何なの??日本の高級マンションを買いあさり、自分で住むことなく投資対象として資産を持つことは金余りの「中国」を象徴する。北海道の土地を買い占め、水道資源までも中国が占有されそうである。許せない「中国の給料」である。

  • ある不幸があったから、今は幸せでいられる、と考えることが出来る人は、いつも幸せになれる、という法則。 幸せの秘訣は考え方を変換することでしょうかな。

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