【ラジオ】
年のせいか睡眠時間が短くなり、午前4時過ぎには目が覚めてしまう。
女房とは別の部屋で寝ているが、私はベッドの中でイヤホンでラジオを聞くようになった。平日は5時から文化放送で、「おはよう寺ちゃん」という番組を聞く。
その番組の中に世界各地に長期滞在していて活躍している、翻訳家、ジャーナリスト、医師、日本茶販売、コーヒー農園経営、大学教授など色々な職業の10人ほどの女性が順番で登場する。
彼女達が日本にいては分からないニュースを解説してくれるのが、とても楽しみだし勉強になる。土曜・日曜は仕方なくニッポン放送を聞く。こちらは難しい話は無く演歌が多い。昔のことだが、母が早朝からラジオを聞いていたことを思い出した。

「携帯ラジオ」(2000円?)
【ナポリタン牛丼】
テレビで見たが、「ナポリタン牛丼」という、とんでもない組み合わせの食べ物を紹介していた。私の感覚では、どう考えても合うわけがない。
でもこんなものを考えて売り出した「すき屋」に興味があり、「怖いもの見たさ」で食べに行ってみた。
多分「不味い」と思っているので、自動券売機で「ナポリタン牛丼ミニ」を押した。
値段は640円で、すぐに呼び出された。食べてみたら、私の予想通り不味かった。
牛丼とナポリタンは合わないし、そもそもナポリタンではなく「トマト味のペンネ」だった。バッグに「よもぎ饅頭」が入れてあったので、口直し出来て救われた。

「ナポリタン牛丼ミニ」(640円)
【中央区講演会】
2025年度の中央区民カレッジの入学式が行われることになり、その時に基調講演が行われた。場所は中央区立中央会館で、通称「銀座ブロッサム」で一般客を含めて900人が参加した。入学式は5分くらいで、山本区長と教育長の挨拶で終りになった。
基調演説は「NHKの大河ドラマ「べらぼう〜蔦重栄華乃夢 噺〜」の、チーフ・プロデューサー」の藤並英樹氏だった。映像を交えて、ドラマ制作の進行を見せてくれた。
その後は対談で、司会者の女性と以前にNHKの大河ドラマに出演したことのある2人と藤波氏だった。
私は「べらぼう」に出演している俳優かと期待していたが、そうではなかった。
これは悪いが、面白くなかった。

「銀座ブロッサム」
【バスの優先席】
築地3丁目から都バスに乗った。最近は外国人観光客も利用するので、バスが混むようになった。私は優先席の前に立ち前方をみていたら、誰かが私の肩を軽く叩いた。
振り返ると私より高齢そうな2人連れのジイサンが、「どうぞお座り下さい」と言った。「大丈夫です」と言っても譲らないので席に座った。そして2人に聞いてみた。
私 『そんなに年寄りに見えますか? なん歳くらいに見えますか?』
2人 『75くらいですか?』
私 『83です』
2人 『私達と同じですねー』
その後、2人は私にズーと話し掛け続けて参ったが、私は銀座4丁目で降りた。
あれはなんだったんだろう?

都バス「銀座4丁目停留所」
【うらやましいボケかた】
五木寛之の「うらやましいボケかた」というエッセイ本を読んだ。
その中に面白いことが書いてあり、「そうだよなー」と感じたのである。
「ボケは長生きの代償」、「自分の過去をいくら反省したところで、取り返せるものではない」、「若い頃は歩いている時にカラスや鳥に近づくと逃げたが、今では素知らぬ態度で逃げない」。「明日死ぬと分かっていても、するのが養生」。・・・
「体は枯れても、心は枯れない」。「人は必ずボケる。そう覚悟したなら、よりよいボケかた、正しいボケかた、優しいボケかたを目指して努力すべき」など読んでいて、他人事とは思えず笑いながら読んでしまった。

「うらやましいボケかた」★★
(おまけの話)【上野で】
(山岳写真展)
「全日本山岳写真展」の案内葉書が届いた。
例年までは池袋の「東京芸術劇場」で行っていたのだが、今年は「東京都美術館」になっていた。慌て者の私はそれを行く前になって、絵葉書の下に小さく書かれているのを見付けたのであった。
この写真展は公募方式なので、誰でも出展料さえ支払えば会場に飾られる。
だから写真は玉石混合で、展示枚数も極端に多い。
会場が広いので速足で見て廻ったが、枚数が多過ぎるとじっくり見る気が起きなくなる。

「全日本山岳写真展」(東京都美術館)
(不忍池)
蓮の花にはまだ相当に早いが、上野へ行くと不忍池を見るのが習慣になっている。
東京都美術館を出て上野公園の中を通過して、途中で右に折れて不忍池に出た。
池の中は蓮の葉で覆われていて、一面に緑の池になっていた。
まだ蓮の花は水中から蕾も顔をのぞかせていないが、大勢の外国人観光客が来ていた。
池に張り出した遊歩道にも見物客いて、みんな新緑の蓮の葉を楽しんでいるように見える。この日の最高気温は29.7度もあり、熱中症警報が出ていた。

「不忍池」では蓮の葉が伸びて来た。
(アメ横)
上野と言えば「アメ横」である。
アメ横の名の意味は「戦後、アメリカ軍の放出物資を売っていた」と、「飴などの菓子屋が多かった」という2つがあるようだが、私は「アメリカ軍の横流し物資を売っていた」からだと思う。日本占領下のアメリカ軍の兵士はテロなどの恐れがあったので、あまり程度の良くない者が多かった。
我が家もアメリカ兵から、横流しのハムやソーセージを買っていた。
私は横流しのアメリカ食品で育ったのである。
現在のアメ横は観光地になっていて、しかも屋台風の食い物屋が多い。それも外国人の経営が増えている。何事も時代と共に変って行くのは仕方ないが、そういう歴史を自分の目で見て来た年齢になってしまった。

「アメ横」の光景
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