このブログの第1回は、2005年6月23日だった。
その時のタイトルは「伊達一番の忙しい人がやって来た」だった。
【伊達一番の忙しい人がやって来た】で検索すると、今でも見られるようになっている。
その時は写真もたった1枚で、文章も下手だった。またその頃は小金井に住んでいたので、話題もあまり無く今のように毎日は書けなかった。

伊達市からやって来たRさんを出迎えた。
(ここから下の写真は近所の住吉神社の様子です)
引退して暇だったこともあり、その頃は「むしゃなび」のブログを始める前から、メール方式で友人達にはブログを送信していた。
いまは2025年だから、もう20年もこのブログを続けている。飽きっぽい私にしては、珍しいことである。
14年前に都心に越してきたせいか、なんでも珍しく、行く場所も色々とあるのが嬉しかった。だからブログの話題にも、写真にも困ることが無かった。
私は2011年3月11日の東日本大震災の前日に、ここへ越して来た。地震が起きた時間には区役所で転入届の手続きをしていた時だった。

ピンクの椿(境内で)
その後、ここで知り合った人の勧めで、マンションの副理事長をすることになった。
ところがこれが災いのもとで、私の住むマンションに関するブログを見付けた元理事の連中から、私の行っていた大改革に不満を持ち思い掛けない理不尽な非難を浴びた。
そこでアホらしくなり任期の2年を1年で切り上げて、ベトナムに行ったのである。
そしてそれをキッカケに、ブログも休止したという事情があった。

「フキノトウ」(境内で)
休止状態は2018年9月まで続き、その間もメール方式ではブログを続けていた。
私に敵対心を持っていた連中のほとんどがこのマンションを去って行ったので、またブログを始めたという事情があった。そこで今までは土曜日と祝日は「ブログ閉鎖中の話題」ということで、古いブログを公開している。
でも古いその頃のブログの写真はメールの容量の関係で小さな写真にしていたので、「むしゃなび」用に引き伸ばすとボケ気味となっている。
しかしその後、2回にわたり管理者がシステム変更を行い、写真も10枚載せれられるようになって現在のスタイルとなっている。

赤い椿が木の苔の上に落ちていた。
ここからが本題で、今後のブログの投稿に付いて考えた。
「毎日」の投稿は話題も無くなり無理になった。昔のように「3日おきくらい」でも良いかとも考えた。
だが読者のYさんやHさんのように、私の「ブログを読むことから1日が始まる」と知らせて来る人がいる。それを「3日おきくらい」にしてしまうと、彼らの1日が始まらなくなる。

本殿をバックに「白いモクレンの花」
そこで私は妥協案を考えた。
「今までのように1話に多くの話題を載せない」、「話題が無い時は、ブログ閉鎖中の話題を載せる」、「おまけの話で1話にする」にしようと考えている。それでも高齢化には逆らえず、いつまで続けられるか分からない。
「継続は力なり」も、私にとっては「力」ではなく「継続はボケ防止」である。
今までのブログでも時には「間違いもあった」、「つまらない話もあった」、「喜ばれた話もあった」、「参考になったこと」もあったと思う。

手水舎の彫刻「漁師」
大きな話題の時は今までのように、1回で1話もあると思う。
なるべく長く続けたいと思っているので、たまにはコメントも欲しいし、気に入った話題の時は「いいね」を押して欲しい。
・・・というわけで、近い内から変更になるので、よろしくお願いします。
「近い内」と書いたが、出来れば「4月から」と思っていたが、今でも話題が無く3月中からになるかもしれない。

手水舎の彫刻「獅子」
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