【外国人観光客】
ブログの話題に困ると、「外国人観光客」を取り上げる。
これならいつも銀座や築地市場で見ているから、なんとか話題作りになるからである。
春節が終っても、外国人観光客が減ったようには感じない。
以前より白人が増えている。また全く私が分からない言葉も、しばしば聞こえる。
その代わり、あまり豊かではなさそうな観光客が増えたように感じる。
中国人がマナーが悪いと言われているが、最近は白人観光客もマナーが悪い人が増えて来た。きっと日本旅行が安いので、それなりの人が増えたのだろう。

和光前で「木村屋のあんぱん」を食べるカップル。
【お土産はお餅】
2月後半になりベトナムから、日本語研修で埼玉県に派遣されていたAさんが帰国した。
Aさんは来日時にNさんから大量のベトナムのコーヒー豆を、私の為に託されて来た。
私はお礼の品を色々と考えたが、同じ米が主食のベトナムなので「お餅」と「海苔」にした。ベトナムにも餅はあるが、日本と違い「米」から作るし、食べ方も違う。
私は「焼き餅」が好きなので、餅と海苔と七味唐辛子を持たせた。日本の醤油はベトナムでも買えるからだ。その後、帰国したAさんからお土産を受け取ったNさんから、喜んでメールと海苔を食べる娘の写真が届いた。
『ヴィナちゃんは海苔が大好きなので、ご飯と一緒に食べました。海苔を喜んで食べているヴィナちゃんの写真を送ります』

海苔とヴィナちゃん
【春を感じる】
毎朝6時に起きているが、少し前まではまだ外は暗く居間の照明を点けていた。
3月1日の朝に起きたらいつもと様子が違い、照明の必要が無かったので「エー!」と思った。春が近づき、日の出の時間が早くなって来たようだ。
窓から東に見えるマンションとマンションの間から、朝日が昇り居間を赤く照らしている。間もなく太陽はマンションの影に隠れ、そして空も明るくなり赤みは消える。

3月1日・午前6時の朝陽
【動画編集】
少し前から、このブログにも動画を入れるようになった。
再生時間は30秒から60秒以内くらいと短いので、忙しい人にも見てもらえるだろうと思う。少し前に撮影した「河津桜にメジロ」の動画は、最後が上手く終らなかった。
スイッチを押したつもりが押されてなく、これを編集して最後の方をカットしたくなった。
そこでFREE動画編集を見付けてダウンロードした。初めてのことなので、上手く行かない。他のソフトも試したが駄目だった。カットは出来るが、それを保存できないのである。
保存しようとすると、すかさず「有料画面」へ行かされそうになる。諦めてカットはしないことにした。彼らも商売なので「出来ますよ」というところまでで、その先は「お金を払ってね!」ということらしい。

無料動画編集サイトのはずなのに!
(おまけの話)
「むしゃなび」にkayakerという名でブログを投稿しているYさんがいる。
私は彼には伊達市で大変にお世話になったし、その後もPCの件では色々と教えてもらっている。彼は1月29日から12回シリーズで、「あいつとの32年間の空白を埋めるために」という記事を載せている。
5歳違いの弟との関係を、弟が亡くなるまで綴っている。
文章が上手ということもあるが、最後の方は涙がこぼれた。詳しくは記事を読んでもらうことにして、兄と弟の関係、兄弟と両親の関係、アメリカ・スペイン・北海道・東京と、まるで映画を見ているような舞台設定で、まさしく感動物語である。
最後はkayakerはスペインで弟の死を見届ける。そろそろ私も自分の最後も考えないといけない年齢となったので、そのブログを読んで大いに影響を受けた。
(写真の仏像は私が彫ったものです)
【kayakerブログ】・・・kayaker | 北海道洞爺湖周辺の情報共有サイト「むしゃなび」

自然木に彫った「地蔵2体」
身近な友人・知人が次々と亡くなり、「私はどのように死にたいのか?」を考えた。
いざとなると、これが難しい。自分の希望通りに死ねるわけではないからだ。
希望を言える時はいいが、意識不明になってしまったらそれも出来ない。
私は「日本尊厳死協会」の会員なので、「尊厳をもって死にたい」とは考えている。
「尊厳をもって」とはなんなのか? 日本尊厳死協会では「無駄な医療を行わない」とある。私は「安楽死」も良いと思うのだが、日本では法律で認められていないから出来ない。

「釈迦座像」
具合が悪くなった時に救急車で病院に運ばれると、生かすために無駄でも治療を行う。
これは医者の務めだからだ。私が自分なりに考えている尊厳とは、「オムツをしてまで生きたくない」が一番大事と思っている。
「胃ろう」などもってのほかで、口から食べられなくなったら終りでいい。
もうこの年だから、手術はやらないで欲しい。手術後のQOLが損なわれるから無駄である。自宅に往診に来てもらい、私から医者や看護師に最後の希望を伝えたい。
叶うなら、最後はホスピスでもよい。
出来ることなら、女房に「ありがとう」と言ってから逝きたい。まだまだ実感がわかないが、病気になれば分かるのかもしれない。

「阿修羅像」
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