ブログ閉鎖中の話題(2015年2月27日)
人生も73年近くもやって来ると、ずいぶんと色々な友に出会った。
しかし残念だが、もう二度と会えなくなってしまった友人も多い。
そんな中で忘れられない友人達がいる。
でも、このブログを読んでいる人に関わりのある友人達には面白い話が山ほどあるが、色々と迷惑をかける恐れもあるので登場してもらうことは出来ない。

珍しく東京に大雪が降った。
1人目はXさんである。
彼とは50歳の頃に、ある会を通じて知り合った。
彼自身は薬剤師で、調剤薬局と漢方薬局の2店舗を経営しいていた。
更に本物の気功師でもあり中国語が堪能で、韓国語で歌うカラオケも抜群の上手さだった。

晴海通り(築地)
年齢が私より10歳ほど下だったが、その明るいキャラクターが好きで仲良くしていた。
欠点は賭け事が大好きで、マージャン、競艇を好んだ。
時には商売そっちのけで賭け事にのめり込むので、私は時々、彼に注意していた。
そんな彼がバブル期に不動産投資の失敗で、窮地に陥ってしまった。

新橋近くで
私は色々と相談には乗っていたが、彼の明るさからはそれほど深刻とは思えなかった。
ところがある日、彼はなんと自ら命を絶ってしまった。
彼は自分の専門知識を生かし、また自分で手に入れることが出来る「筋肉弛緩剤」を飲んでしまったのである。

銀座
この時ほど、私は衝撃を受け後悔したことはない。
「なぜ、もっと彼の悩みを聞いてあげられなかったのか?」。
「命を絶つほどのことではなく、他にも解決策があったのにー」と、今でも残念で仕方ない。

銀座裏通り
暗い話になってしまい申し訳ないと思うが、でもその人も間違いなく私の友人だったのである。私の友人の中には、他にも自ら命を絶ってしまった人が何人かいる。
身分不相応の大工場を建ててしまい、仕事が無くて破産してしまい、ガソリンをかぶってあちらに逝ったYさん。
インドネシア関係のフィクサーとして暗躍し、その後、大統領の失脚と共に経済的に苦しくなり、大量の睡眠薬を飲んであちらに逝ってしまったZさん。

日比谷交差点
他にもこのブログの読者にも関係する友もあちらへ逝ってしまったが、ここでは書けない。みんなに共通することは、「経済的な理由」である。
60歳近くになってからの経済的な破綻は、もう取り返しが付かないのである。
だから、彼らが諦めてあちらに逝ってしまうという気持ちも分からなくはない。
私は幸運にも、なんとかここまでやって来られたことに感謝したい。
暗い話でごめんなさい。

日比谷公園前
(おまけの話)
ここからは明るい友達に登場してもらが、ブログの読者と関係ない人を探すのは難しい。
そこで、Aさんに登場してもらう。彼は元国会議員の私設秘書だった。
どちらが本業か分からなかったが、紳士服の仕立て屋もやっていた。

日生劇場から
自分で縫製は出来ないのに、先生のコネを利用して国会議員達からオーダー服の注文を取っていた。でも、彼には素晴らしい特技があった。
それは採寸する時のことだが、体の各サイズを測るのだが、一切、紙に記録を取らない。

有楽町駅
そして採寸の後に、私達と一緒に遊びに行ってしまう。
でも、背広が出来上がって来た時は、なんと体にピッタリなのであるから驚く。
この特技が評判となり、国会議員にはお得意さまが多かった。
ただ一回だけだが私も仕方なく付き合いでオーダーしたが、その値段に驚いた。
ジバンシーの生地だったが、同級生の給料が10万円の時代に一着の背広が25万円だった。その身分不相応の高額な背広も、今はどこへ行ってしまったのか分からない。

デパート
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