ある日のことである。
北海道壮瞥町の友人の果樹農園経営のIさんから「林檎の花が咲きました」というメールが届いた。そこにはリンゴとサクランボの花などの写真が添付されていたが、全く説明書きが無かった。
するとすぐ後にIさんから電話があり、『スマホでは画面が小さくて説明書きは難しいので、電話の方が早いし分かり易いだろう』と言った。
メールには8枚の写真が添付されていたが、全く分からない写真もあった。
彼はスマホの契約を「使い放題」にしているので、いつも彼の方から電話をくれる。
私はスマホで電話を掛けることがほとんど無いので、契約上では北海道に電話をすると、ものすごく料金が掛かるだろうと思う。だからIさんからの電話はありがたい。
それにたまには彼の声も聞きたいと思っている。
Iさんから写真の説明を聞いた。リンゴとサクランボの写真は、私の思ったものだった。
そこから話はドンドンと繋がり、受粉の話になった。
リンゴもサクランボも自然受粉は難しく、業者から「マメコバチ」という種類の蜂を購入するそうである。電話の後で「マメコバチ」をネットで調べたら、「豆子蜂」という字だった。
添付の写真には「マメコバチ」もあり、業者から購入するのはストロー状の筒に入った巣である。これが気温が18℃を越えると巣の中のサナギが成虫となり、飛び回って受粉のお手伝いをしてくれるのだそうだ。マメコバチは花粉の団子を作る。この形状から「豆子蜂」という名が付いたそうだ。
私はIさんに『受粉を終えた蜂にストロー状の筒を用意すれば、自分で蜂を増やせるのでは?』と聞いたら、『それが難しい。専門家でないと上手くいかない』と言っていた。
リンゴ畑の写真があったが、Iさんが説明してくれた。
『写真の背景にある山は、橋本さんが滞在していた立香山の裾野でコテージのある場所だよ。今は木が大きくなってしまい、コテージは見えなくなってしまった』と言った。
私はその頃のことを思い出した。時々、向こうから一眼レフカメラの望遠で、Iさんの店を見ていた。
私は伊達市に行くようになるまでは、農家の友人はいなかった。
小金井の自宅では狭い庭に畑を作り茄子やキュウリを育てていたが、思うような収穫は無かった。
伊達市ではイコロ農園のTさんと知り合い、用事の無い日は毎日、農園に行って農作業のお手伝いをした。特にコメ作りがお気に入りで、田んぼに入り雑草を除去するのが日課だった
農業は自然との共生だから、とても面白いし楽しい。
だが本業となると自然の猛威にさらされて、収穫前に台風で被害を受け、冷夏で収穫が減り、ハウスの暖房のための燃料費があがり、不運が多い。
それでもIさんは落ち込むことも無く、頑張っている。
だからたまの電話で私の声を聞き、元気が出るようだ。
こんなことしか私には出来ないが、東京で食糧難の時が来たらIさんに助けてもらおう。
(おまけの話)
2019年6月に私がホーチミン市に行った時に、マンゴーの木を植樹した。
その理由は私が現役の時に、私の会社で働いてくれたベトナム人実習生のハンさんに関係する。
その時に3年ぶりくらいにハンさんと会い、新しく彼が建てた工場の前に記念植樹としてマンゴーの木を植えたのであった。その木は既に大木だったので、そろそろマンゴーが収穫できるのではないかと思い、メールで問い合わせてみた。
ハンさんからはすぐにマンゴーの写真付きのメールが送られて来た。
『こんばんは。メールありがとうございます。私たち元気です。今ベトナムはめちゃめちゃ暑いです。44℃ぐらい。ベトナムにコロナウィルスはまだですが、マンゴー🥭こと、先週撮りましたが、ちがう土で、味はまま。全部6個を取れましたです』とあった。
メールの文章は変換間違いもあり稚拙だが、意味は分かる。
気温が44℃とあるが、間違いではないか? 私の経験でも、これは34℃の間違いだと思う。ベトナムでは5月から6月が南洋フルーツの最盛期で、私の好きなマンゴスチンも市場に安く出回っているはずだ。
日本人は熟れた甘いマンゴーが大好きだが、ベトナム人は青い硬いマンゴーを酸っぱ辛い塩を付けて食べるのが好きだ。この塩はスーパーで売っていて、色々なフルーツにも掛けて使う。
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