イスタンブール行きが1日遅延され、
14時間くらいの長旅をして
僕らは現地の夜中に入った。
空港からホテルに急ぎ、
3-4時間寝てから、
また昼頃の飛行機でマドリードに発つ。
弟の状況は変わらず、
あいつからは病院からLINEで連絡がきていた。
親父が亡くなった後、
我々のお袋は元気に暮らしているのだが、
実はお袋には弟の状況を知らせてはいなかった。
弟は教えなくていいと言っていたからだ。
この日、マドリードに発つまでの4時間ではあったが、
現地の日本人ガイドの方が朝7時半から
イスタンブールの中心街、旧市街を3時間ほど案内してくれた。
本来なら前日の約束であったが、
「せっかく来てくれたのだから」と
この日もわずかな時間を縫って付き添ってくれた。
この50代の彼女も何十年も海外暮らしをしているという。
海外の方が日本よりも合っていたというのが
その理由だったが、
弟と重なった。
こうして若い頃から海外に出て活躍している
日本人もたくさんいるのだろう。
彼女も弟と同じように、
差別を受けたり、文化の違いに戸惑ったりしながら
うまく対応して生きて来たわけだ。
ヨーロッパの歴史の一部ではあるが、
オスマン帝国時代の歴史的遺構などを案内してもらい
カミさんも大満足だった。
そして我々は彼女に別れを告げ、
マドリードへと向かった。
考えてみれば、
1日旅程が詰まったことも
今回は弟の状況からして良かったのかもしれない。
気もそぞろで、
観光気分には浸れなかっただろうから。
マドリード空港には午後4時頃についた。
空港には弟の友人が出迎えてくれた。
ユーイチくんだ。
(つづく)
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