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(続)あいつとの32年間の空白を埋めるために(10 最終)

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別れの握手をしてから、
麻酔担当医が点滴の交換を何回かした。
そこからは早かった。

あいつは深い息を繰り返している。
時々声かけして腕を叩いても
反応は見られなくなった。

まるでよく寝ているようだった。

そのうちに呼吸が途絶え気味になり、
その間隔が狭くなっていった。

そして最後にはゆっくりと息を吐き出して
動かなくなった。

スペインの1月21日のちょうどお昼頃。
あいつは亡くなった。

生から死への遷移に立ち会い、
看取る体験は、
愛犬を亡くした時以来2回目だ。

愛犬のときは肝臓が機能しなくなり、
麻酔もしていなかったから
息を引き取る時はとても苦しそうでかわいそうだった。

弟は麻酔薬のおかげで苦しい思いは
しないで済んだようだった。
とても安らかな移行に見えた。

さっきまで生きて会話していたやつが
今はもう死んで会話もできなくなる。

あいつは一体どこに行ってしまったんだろう。

生から死に移ることで
肉体から何かが抜けたとしか思えない。

息こそしていないが、
肉体はそのままで何も変わっていないのである。

ひとつ、麻酔薬を強くしていく中で、
不思議なことがあった。

弟は以前、
スペインのイビサ島という
セレブも集まるパーティーアイランドで
働いていた。

昔、ショーン・ペンが来てカウンター越しに
酒をだしたやった話とか
結構ハリウッドとかの有名人の話を
してくれたことがあったっけ。

その後、日本食バーを一緒に開き、
ずっと一緒に経営していた
マー坊という日本人がいる。
日本女性と結婚するために帰国し、
実家のある伊勢あたりに戻って3-4年ほどになろうか。

弟よりも10歳くらいは年下だと思う。
会ったことはなかったが、
あいつがスペインに来た時からの付き合いで、
マー坊は弟にとってのスペインでの盟友・親友と聞いていた。

弟もマー坊もゲイではなかったが、
仕事だけでなく、一緒のアパートに住み、
遊びも含めてなんでも一緒にやってきたという話を
聞いていた。

一度会いたいなあとずっと思っていた。

その彼が、
弟が麻酔薬を強くして眠りについてまもなく、
ひょっこりと病院に現れた。
弟の状態を知って、
駆けつけれくれたのだ。

わざわざ日本から長い旅をして
もしかしたら間に合わないかもしれないのに
本当にありがたいものである。

挨拶もそこそこに、
弟のベッドの横で早速弟の腕をとって
優しく声かけしてくれた。

僕が
「おい!マー坊が来てくれたぞ!待ってたんだろう?」と
大きい声で声かけると、
なんと弟が上半身をバタバタを動かした。

寝ているように見えても
意識が薄い中、
声もどこか遠くで聞こえていたのだろう。

彼のはっきりとした反応は
それが最後だった。

そのあとは安心したように
静かに逝ったというわけだ。

最後に親友に本当に会えてよかったな。


こうしてあいつが亡くなるのを
僕とカミさん、
そしてマー坊とユーイチくんで看取ったのだが、
たまたま自宅に戻っていた奥さんのエレーナは
そこに立ち会えず、とても残念がっていた。
しかしこれも縁だろう。

そのあとは弟の希望に沿って
エレーナが中心になって翌日に葬儀を行った。
マドリード界隈の彼らの友人たちが集まり、
あいつの希望通り、楽しく思い出を語り合った。
中にはニューヨークから駆けつけてくれた友人もいた。
彼らの友人たちと色々と語らい、
あらためて弟はみんなから慕われて
幸せだったんだなと思った。

そしてやはりスペインに戻れて
そこで死ねたことは幸せだったと思う。

57年ほどのあいつの人生の中で
30年以上はほぼ僕と違う世界に生き、
ほとんど会うこともなかったが、
あいつが病気になったことで、
ほんの2年ほどではあったが、
今思うと、その空白を埋められたような気がする。

もう会えないと思うと寂しいのだが、
今頃先に逝った親父と会って
また喧嘩しているんだろうと思うと
笑ってしまう。

弟よ。
親父とそんなにもめず、
まあ待っていてくれ。
まもなく君の母親もそっちに行くし、
俺もまた会えるのを楽しみにしている。

それまでしばらくは
サヨウナラだ。

(おわり)

・・・弟とのことを忘れないように書き留めてみました・・・


イビサ島にて弟

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犬と暮らしとカヤックと

kayaker

豊浦町でワンコたちと暮らし、たまに海で遊ぶ日常をつづります。

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コメント(2件)

  • […] あの時、マー坊は弟の最期に立ち会うために日本から急いで駆けつけて、俺とカミさんと一緒に弟を看取ってくれた。駆けつけてくれたとき、弟は麻酔で寝かされていたのに、マー坊が来るとまるで彼を待っていたかのように、一瞬足をバタバタさせ、それからまもなく安心するように逝った。((続)あいつとの32年間の空白を埋めるために(10 最終))どんな縁でつながっていたのだろう。だから弟がスペインに来てから、彼との出会いによっていかに人生が豊かになったかは容易に想像できる。マー坊とは、とにかくそんな人物だ。 […]

  • はじめまして。Yの18歳からの友人のNと申します。娘さんのAさんから、このブログを教えていただきました。彼が亡くなった直後、エレナと連絡が取れたので、最後の話は聞きましたが、その後お墓とかどうなってるのか全く知らず、どうにも気持ちの整理がつかずでした。お兄さんのブログを見て、自分が気になっていた彼の状況が全てわかったので、すごくほっとしてるというか、涙でいっぱいです。
    明日早速鎌倉のお墓に行こうと思っています。これで自分の中で気持ちの整理がつくのかなと思っています。彼がアメリカに行く理由は、実は自分が原因でもあった部分があります(笑)空白の32年、私はその空白の時間常ではなかったのですが、しょっちゅう連絡を取り合い、スペインにも行き、僕がアメリカにいた時、90年代でしたけれども、ニューオリンズに来てもらったり、シアトルに寄ったり、私の中では大親友であり、彼がいなくたら今の自分がない部分が多くあります。
    ここでは語り切れない話もいっぱいあるので、もしお会いできるのであれば、お兄さんと会いてお話がしたいです。彼からお兄さんの話もよく聞いてました。別に悪い事は何も言ってなかったですよ(笑)
    ただ、親父さんの事は相当、32年前からですけれども、文句は言ってましたね(笑)

    実は自分の父親と親父さんは小学校時代同級生で、これも何かの縁なんですけど、でも2人はすごく仲が悪かったみたい。(笑)その事実がわかったのが彼と知り合った1989年ではなく、さらに時を経て、2008年25年ぶりに、彼が日本に帰ってきたときに家で飲んだくれてたときにわかった話で、お互い大爆笑で、俺らの世代がめちゃくちゃ仲良いよなと言いながら大爆笑した思い出があります

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