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人形町近辺の神社を訪ねて

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【宝田恵比寿神社とべったら市】
私が人形町へ行った日は丁度、「べったら市」が開かれている日だった。
この「べったら市」は毎年10月19日・20 日に宝田恵比寿神社周辺で行われる伝統行事で、約500店の露店と名物の「べったら漬け」、1500超えの提灯が名物の秋祭りである。

資料によると『昔は若者たちにより浅漬け大根を混雑を利用して、参詣の婦人たちに「べったらだー、べったらだー」と叫びながら着物の裾につけてからかったことから、「べったら」の呼名になった』と書いてあるが本当かな?

 「寶田恵比寿神社」前の通り

【宝田恵比寿神社】
今回の報告は地下鉄「人形町」の近所の神社の話である。
駅から遠い方から訪ねて、最終的に人形町駅に戻りランチの予定にした。
参道の両側には提灯が飾られ、多くの露店が出ている。

かなり華やかなので神社もそれなりに大きいだろうと思ったら、とんでもなく小さい。
神社に境内は無く、小さな本殿の両側はコイン・パーキングになっている。

境内の広さと信仰は比例しないのかもしれないが、「宝田恵比寿神社」は商売繁盛、家族繫栄、火防の守護神として崇敬者は広く関東一円の及ぶそうだ。

「寶田恵比寿神社」は狭い

【椙森神社と富くじ】
次は「椙森神社」に行った。神社までの道路はやはり両側を露店で埋め尽くされていた。
最近の若い人はあまり「べったら」を食べないようで、我が家でも滅多に食卓に出て来ない。私は出掛ける時に『今日は「べったら市」に行くから、買って来ようか?』と言った。

すると女房は『べったらは三越デパートのが美味しいから、買って来ないで』と言った。
神社の近くに「べったら屋」が並んでいるので、その前を通ると甘ったるい香りが漂っている。試食もあったが、私は買わないので食べるのは止めた。

「べつたら市」は大繁盛

【椙森神社】
境内に入ると「冨塚の碑」がある。これは現在の「宝くじ」の原点である。
「富くじ」は江戸時代に寺社の資金集めのために幕府に許可されて行われていて、「御免富」と呼ばれていた。

富札1枚の値段は享保年間(1730年)の頃で、金一分で(一両小判の4分の1)で、現在の価格に当てはめると4万円相当だった。
そこで多くの庶民は1枚の富札を数人でお金を出し合って買ったそうだ。

この神社は天慶3年(940年)に藤原秀郷が平将門の乱を鎮めるために、戦勝祈願をした神社である。秀郷は乱鎮圧のお礼として、聖徳太子手作りの白銀の狐の像を奉納した。この像は現在も社宝として伝わっている。文正元年(1466年)に太田道灌が雨乞い祈願をしたこともあるらしい。

「椙森神社」の境内

【出世稲荷神社】
この神社も上の2社の近くで、由来は次のようなものである。
『元和3年(1617年)に北条家の浪人だった庄司甚右衛門ほか数名の仮屋敷内に京都伏見稲荷の御祭神を分霊して祀ったのが始まりとされる。明暦3年(1657年)の江戸大火、安政元年(1854年)の大地震、・・・』

『明治6年(1873年)の大火、大正12年(1923年)の関東大震災、そして太平洋戦争と、数々の災害に見舞われながら本尊への被害を免れた。社名に付いては、江戸時代に歌舞伎役者の初代「市川團十郎」が毎日参拝し、名を上げたことに由来する』。

しかしこの神社は見付けるのが難しかった。
マンションの1階の駐輪場の奥に、ひっそりと建っていたのである。
言っちゃー悪いが、これでは出世をお願いしても無理ではないか?

「出世稲荷神社」は駐輪場の奥にある。

【末廣神社】
この神社の由来は『江戸時代の初期に吉原がこの地にあった当時、その地主神産土神として信仰されていた。幕府は江戸市街拡張のため、吉原の移転を言い渡し、更に翌年の「明暦の大火」により吉原は焼失し、遊郭は現在の浅草へ移転し「新吉原」が開かれた』。

『明暦の大火で吉原が移転してからは、その跡地の難波町、住吉町、高砂町、新和泉町の4ヵ所の氏神として信仰されて来た』。
この神社は以前にも取り上げたが賽銭ドロボーにあわないように、お賽銭をQRコードでPayPayで納めることが出来る。

人形町には今回の紹介以外にも、多くの有名な神社がある。
そこで「東京都にはどのくらいの数の神社があるのだろう?」と思い調べてみた。
すると、なんと1438社もあった。しかしお寺は正式な資料は無いようだが、桁違いに多く4000~5000もあるそうだ。

 お賽銭は「PayPay」で(末廣神社)

(おまけの話)【イチマス田源】
区報の「まちかど展示館」に、「イチマス田源」という呉服店が出ていたので見に行った。
場所は人形町からも近い堀留町の「椙森神社」の近くで、「織物中央」の名の通り、周辺には衣料、呉服、布団、染め物などを扱う会社が多く建ち並んでいる。

「まちかど展示館」の記事には、『田源は創業200年余の歴史を誇り、通りに入れば風格のある石造りの建物と大きな金文字の屋号がすぐ目に入る。入口には江戸時代に建てられた旧京都店の蔵の鬼瓦が二枚展示されている。大きな鬼瓦にはイチマスの屋号が施されていて、江戸時代の豪商を偲ばせる』とあった。

呉服屋「イチマス田源」

呉服屋なので私には入り難かったが、思い切って入ってみたら、なんと以前に来たことがあった。店の表だけを綺麗に改装したので、全く気が付かなかった。
この店の2階に「耕書堂」を再現した場所があり、以前にそれを見に来たのであった。

「耕書堂」というのは昨年のNHKの大河ドラマ「べらぼう」で、蔦屋重三郎が開いた今風に言えば吉原の案内書を発行した店である。
案内書は「吉原細見」というもので、大ヒットしたようだ。

実際に「耕書堂」が存在していたのは中央区大伝馬町13で、いまは記念に案内板が立っているだけである。

「イチマス田源」の入口 

昨年はあれだけ「蔦屋重三郎」で盛り上がった中央区だが、大河ドラマが終ると潮が引くように静かになった。今年のNHKの大河ドラマは「豊臣兄弟」だそうだが、私は大河ドラマを見ないのでドラマの舞台がどこか知らない。

中央区に住むようになり、「江戸っ子」とは思っていないが、江戸のことに興味を持つようになった。ところで『江戸とは現在のどこか?』が気になり、AIに聞いてみた。

その結果は『江戸という言い方は、今の東京都の中心部にあたります。特に千代田区の皇居周辺を中心に、日本橋や丸の内、大手町あたりが江戸の中核でした』と答えてくれた。どうやら私の住む「勝どき」は、江戸に含まれていないようだ。

 2階に「耕書堂」を再現している。(無料)

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伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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コメント(1件)

  • こじつけとも言える信仰を広め「神社」は多くの人を集める工夫をしているようだ。神社を運営する為の『資金』は『賽銭』だけなのかな~??氏子が寄進をするにしてもそれほど期待はできない。神社庁からの補助金がでるという話も聞いたことが無い。大変だろうな~

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