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写真で見る東京(159)・・・勝鬨橋

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少し前のことだが、「神田川で黒鯛が群れで泳いでいる」という信じられないニュースがあった。「黒鯛は海にいる」、「黒鯛は群れない」というのが、この魚の特徴だそうだ。
「もしかして、隅田川にも来ているかもしれない」と思い、家から歩いて隅田川に行ってみた。

隅田川沿いのテラスを歩きながら水面を覗いてみたが、黒鯛はおろか何もいない。
そして「勝鬨橋」の真下まで来た。
「勝どき」に住んでいながら「勝鬨橋」の話を、今までに書いていないような気がした。

そこでいつもは都バスで「勝鬨橋」を渡っているが、今回はゆっくりと歩いて渡りブログのネタにしようと思った。

  勝鬨橋の下

「勝鬨橋」というものは資料のよると『全長246mの中央部の左右80mが70度上方へ跳ね上がる電動式の可動橋です。昭和15年に完成した当時は、1日50回、20分間づつ開き大型船舶を通していました。隅田川の上流に佃大橋(昭和39年)が完成し、・・・』

『航行する船の減少や交通量の増加などから、昭和45年11月以降開かれていません。勝鬨橋は、日本最大の跳開橋として当時の最先端技術を用いて建設され、日本の橋梁技術史上高い価値があることから、・・・』

『隅田川に架かる清洲橋や永代橋とともに平成19年に国の重要文化財に指定されました』とある。また橋の名前の「勝鬨」は、『戦いに勝った時に皆であげる勝利の叫び声を意味し、日中戦争での戦勝を祈願して名付けられた』とある。

 築地側の「勝鬨橋」の端

橋の上に上がったら、大きな看板が目に入った。そこには『週休2日制確保工事』と書かれている。工事の内容であるが橋脚の塗装工事で、もう2年以上もやっているように思う。
当初の計画では「令和5年12月25日~令和7年4月末日予定」であったが、看板を見たら次のように変っていた。

工事期間「令和6年6月~令和9年1月」になっていた。
どうやらワークバランスの影響で、「週休2日の工事」になったようだ。
でも私の思うのは「作業員は月給制ではなく、日当のはず」である。

働かなければ収入が無いし、雨が降れば仕事にならないので、作業員は困っているのではないだろうか?
「ワークバランス」も、職種を考えて適用した方が良いのではないだろうか?

「週休二日制確保工事」の看板

橋の上の方というのはあまり見ないものだが、私が見上げてみたら「アート」であった。
アートを意識して設計したわけではないだろうが、その模様がなんとも美しい。
この橋は可動橋なので、特に強度を考えてこの模様になったのだろう。

道路は「晴海通り」という名で、手前が「勝どき」で更に進むと豊洲に至る。
先に進めば左に「築地場外市場」、右に「築地本願寺」、更に先は「歌舞伎座」で銀座4丁目に至る重要な道路である。
交通量も相当に多いので、試しに4倍速で動画撮影をしてみた。

この橋は中央部で両側に70度開く構造になっているが、いまは全く開かない。
交通量が多いので令和の時代には、橋を開く時に通行止めには出来ない。
「有志の会」が「なんとか記念に開かせよう」と運動しているようだが、費用と交通事情で無理なようだ。

橋の上を歩いて行くと、2ヵ所にトンネルがある。これは橋の開閉用の機械室が、その上にあるからだ。現在は機械類も無いと思うが、これはどうにもならない。

橋の開閉機械室の下の通路

「勝鬨橋」は左右にアーチ状の鉄骨の橋が架かり、中央は平らな橋で中央が割れている。
割れている箇所から橋が開くのだが、私はいつの頃か一度だけ開くところを見たような気がしている。それが本当かどうかは、この年になると定かではない。

最後に開いたのは昭和45年11月25日だそうで、その頃の私は28歳になっているので見たとしても不思議でない。
現役の頃は「晴海の工作機械見本市」をよく見に行ったし、私の会社でも出展していた。

その場所は2020東京オリンピックの選手村になったところで、現在は「HARUMI FLAG」という名の高級マンション群になっている。

「勝鬨橋記念館」から見た「勝鬨橋」

勝鬨橋の上から左手を見ると、隅田川の対岸で大規模開発の最中である。
東京都の計画では『「築地地区まちづくり事業」として再開発が進行しており、2024年に事業予定者が決定し、MICE施設や業務・商業・住宅などを備えた国際交流拠点として段階的に整備される計画です』とある。

橋を渡り切ると左側に「かちどき 橋の資料館」があり、『橋を開くために使用していた変電所を回収し、この勝鬨橋はじめ隅田川の橋について、貴重な資料や関連情報等を展示・公開しています』と紹介している。

そして「なんと!」、橋を開く巨大な機械はそのまま現存しているそうで、予約制で見られるようだ。ネットで予約が出来るので、私はすぐに申し込んだ。いずれその報告が出来ると思う。

隅田川を疾走する水上バイク

(おまけの話)【波除神社】
勝鬨橋を渡り、すぐ近くの「波除神社」に行ってみた。
最近は築地市場を見物に来る外国人観光客の中には、ガイドを伴って「波除神社」に来る人達も増えた。ガイドは波除神社の名前と歴史を聞いて、『本当かよ?』と思うだろう。

神社の境内は狭い。鳥居をくぐると目の前に「茅の輪くぐり」があり、外国人もしきたり通りにやって楽しんでいる。その方法は『大きな茅の輪を左足から「左・右・左」と8の字に3回くぐる。

これは「心身の穢れを祓って無病息災や厄除けを祈る神事で、多くは6月30日前後の「夏越の祓」で行う』のである。

 「茅の輪くぐり」

本殿の右には「お歯黒獅子」、左には「大天井獅子」が鎮座している。
左奥に進むと、塀に沿って色々な「塚」が並んでいる。
「玉子塚」、「昆布塚」、「蛤塚」、「活魚塚」、「あんこう塚」、「海老塚」、「すし塚」などである。

いまは市場が豊洲に移転してしまったが、場内市場の入口に面した神社だったので氏子の多くは市場関係者だった。そこで彼らが生き物の命を弔っているのだろう。
同じ場所に「吉野家」という石碑があるが、それは牛丼の吉野家の創業店が築地にあったからのようだ。

「玉子塚」

今年の波除神社の例大祭は、6月10日~14日で行われた。
その取材は別のブログで投稿するつもりだが、玉子塚などの先に「宮神輿」が展示してあった。普段はどうかの倉庫に保管しているのだろうが、飾ってある宮神輿を初めて見た。

氏子の「小波会」の説明では『今年は千貫宮神輿の創建100年という節目の年でもあります。大正14年に製作が始まり、大正15年に完成したこのお神輿は、以来100年にわたり波除神社と小波会の皆様によって大事に守り継がれてきました』とある。
私は13日の宮神輿の渡御には、午前9時30分に波除神社に行くつもりだ。

 「波除神社」の宮神輿

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伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

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コメント(2件)

  • 「疾走するバイク」の写真の奥に建つビルは、築地のがんセンター病院の建物である。今では懐かしい?とも言える建物であるが、当時は妻の入院に伴って、片道60分の不安な運転を強いられていた。完治を信じつつ、抗がん剤の副作用に苦しむ妻との対面に辛い毎日であった。5年間の闘病生活を経て、ホスピスケアーを宣言され無言の内に退院を余儀なくされた苦悶の「築地のがんセンター」である。築地市場を目の前にしながら、最後まで訪れる事の無かったところでもある。

  • 知ってるつもりの勝鬨橋というものを改めて見つめて、今回、発見のチャンスがありました。中央部はキャンティレヴァで開閉し、閉まるとピッタリと元の道路のなる。その技術力と精巧さに驚きます。またその中央部にはアーチがなくて、直線形なのも、以前は気がつきませんでした。

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