MENU

写真で見る東京(157)・・・山王祭

21
2

【日枝神社】
銀座に出た時に、お店で「銀座百点」という小冊子の6月号をもらって来た。
その中の記事に「壇ふみさんと 日枝神社へ」という記事があり、「山王祭」のことが書いてあった。赤坂にある日枝神社で、今年は6月7日から17日まで「山王祭」が行われる。
メインイベントの「神幸祭」は12日(金)と分かり、動画撮影に出掛けて行くことにした。

『日枝神社は鎌倉時代に江戸氏が山王宮を祀り、その後、太田道灌が江戸城内に川越から山王社を勧請して日枝神社の礎を作った。天正十八年に徳川家康が江戸城を居城にするにあたり、「徳川家の守り神」、「江戸の産神」として敬われた。・・・』

『江戸城の拡張に伴い麹町に遷り、その後、万治二年に現在の永田町後に遷った。江戸城が皇居となったことで、日枝神社は皇居の守り神「皇城の鎮」として崇められている』。

 国立劇場方面からやって来た「神幸祭」の行列

【山王祭】
「山王祭」というのは「日枝神社」で行われる祭礼で、神田祭・深川祭と並ぶ「江戸三大祭」の一つで、2年に1度の伝統的な祭りである。
資料によると『日枝神社が江戸城及び徳川将軍家の産土神と考えられるようになり、その祭礼に保護が加えられるようになった。・・・』

『徳川時代には江戸城内に入御した御神輿を、三代将軍家光公以来、歴代の将軍が上覧拝礼する「天下祭」となった。祭礼は本来毎年行われていたが、1681年以後には神田明神の神田祭と交互に隔年で行われるようになった。・・・』

『それは各氏子町が全て自前で祭礼の諸費用を賄わなければならず、また当時日枝神社の氏子町の中には神田明神の氏子を兼ね神田祭にも参加していた町があり、年に二度の出費となったので、各町への費用軽減の意味があったといわれる』とある。

今年から初登場の「イセエビの上に乗る恵比寿様」の山車

【神幸祭】
『山王祭での神幸祭(じんこうさい)の最大の見どころは、王朝装束に身を包んだ500名もの大行列が、皇居や東京駅、銀座といった大都会のど真ん中を約23キロにわたって練り歩くことである。かって江戸城内への入場を許された「天下祭」の格式をいまに伝え、高層ビル群の間を鳳凰が輝く御鳳輦(ごほうれん)が巡行する。・・・』

『神幸行列は300メートルにもなり、御鳳輦二基、宮神輿一基、山車六本が王朝装束に身を包んだ総代役員や氏子青年を中心とする奉仕者とともに氏子区域を巡行する。その荘厳な姿は、まさに現代に蘇った王朝絵巻のようである』。

私はどこで見ようかと迷った。前回は皇居の坂下門だったが、行列をくまなく撮影するには不向きだった。そこであまり人のいないと思われる、警視庁の先の国会前の交差点にした。

馬糞係の人が、馬糞の重さで腰を痛めたらしい。

12時少し過ぎに、行列が国立劇場方面からやって来た。
行列は300メートルと長いので4倍速で動画を撮影してみたら、みんながチョコチョコ歩きでみっともなかった。しかも警視庁前の交差点で信号が変る度に行列も止まるので、長い動画には向いていないと分かった。

そこでやはり30秒前後の撮影に分けて撮ることにした。
しかしこれも難しい。行列が急に止まるのである。「どうしたのか?」と前の方を見たら、警視庁前の信号で止まったのだった。

警察官も大勢出て警備しているのだから、せめてこの日だけは1時間くらいなのだから通行止めにして欲しかった。

 実物大の「象」が行進する。

「山王祭」は「天下祭」と言われるだけあって、HPには色々と詳しく載っている。
『江戸時代に「天下祭」と謳われた山王祭の巡行は神輿と山車の巡行でした。山車とは祭礼時に山、鉾、人形、花などの代物を飾り付けて、牛が曳いたり人が担いだりする移動神坐座を言いました。・・』

『江戸時代の山王祭りでは、45番もの山車が引き出され、その行列は町を埋め尽くさんばかりでした。しかし明治維新後、様々な事情により山車の巡行から神輿の渡御へと移り変わりました。後に関東大震災や戦災により多くの山車、人形は焼失しましたが、各地に渡り今もその土地で大事に管理されている山車もあります』。

皇居の松林を通して見た行列

今回の「神幸祭」では初めて「海老山車」が出ると知り、これはどうしても写真に撮ろうと考えた。HPで見ると『海老山車というのは「海老の上に恵比寿様が乗る」、福を招く縁起の良い山車。江戸時代には都内の大祭でも登場したと伝わる姿が、今年の神幸祭の行列に新たな見どころとして登場します。神幸祭には今回が初登場です』。

海老山車は思ったより派手さが無く、恵比寿様の顔もなんだか漫画チックに感じた。
行列は信号で止まるので、私は早足で「桜田門」から入って先回りした。
やがて内堀通りにやって来た頃には、参加者は疲れてしまっているようだった。
この日の気温は28度で、王朝装束ではさぞ熱いだろうと同情する。

内堀通りを進む行列

この装束はどこが用意するのか知りたくて、調べてみたが分からなかった。
行列の中に「TAKASHIMAYA]と書いた法被姿の人達もいたので、各区域の氏子の負担ではないかと思う。祭が終れば全て洗濯に出すだろうから、相当の費用が掛かっている祭りである。

役員の乗った3台のオープンカーは、ベンツのレンタカーだった。
お賽銭を担いだ神官姿と巫女姿の人が目の前に来たので、私はお賽銭を100円入れた。
すると本物の神主が飛んで来て、「頭を下げて!」と言ったので、頭を下げたら榊を振ってお祓いをしてくれた。こんなところが少しだが、祭りに参加した気分になれて良かった。

「お賽銭箱」を担いだ人達が、行列の中に4~5組いた。

(おまけの話)
【エスカレーター】
日枝神社は小高い丘の上にあるので、全国的にも珍しくエスカレーターが設備されている。私もここへ行く時は、いつもエスカレーターに乗ってしまう。
エスカレーターの魅力に負けるのである。

エスカレーターは上に着くまでに、2回も乗り換える。
下りのエスカレーターもあるので、高齢者のお参りには良いかもしれない。
しかし歩いて登って行くのと違い、あっという間に本殿に着いてしまうので、お参りの心構えが出来ないのが問題である。

石段を一段一段と登って行くと、転ばないように足元を確認しながら行くので、余計なことを考えず自然と心が「無」になって行く。

エスカレーターでお参り(日枝神社)

【狛猿】
普通は神社には「狛犬」が飾られている。
ところが日枝神社には「狛犬」ではなく、「狛猿」が飾られている。
資料によると『猿は御祭神「大山咋神」の遣いであることから、「神猿」(まさる)と言われている。「まさる」の語呂が「魔が去る」、「勝る」に通じ、・・・』

『「猿」が「えん」と読めることから「良い縁」にあやかれるとして敬われている。本殿に向かって左に子供を抱いた母親の「神猿」、右に父親の神猿が置かれている。猿は群れを大切にし、子宝に恵まれ安産であることから、・・・』

『「家内安全」、「子授け」、「安産」を願って母猿を、「まさる」の語呂から「商売繁盛」、厄難消除」、「良縁」を願って父猿を撫でると良いとされている』とあるが、信心深くない私にはかなり無理なこじつけのように思う。

 「狛猿」(日枝神社)

【千本鳥居】  
お参りの帰りは、私はいつも千本鳥居を通って帰る。
こちらは「稲荷参道」と言われていて、境内から西へ続く参道で、朱色の鳥居が参道全体に立ち並ぶ「千本鳥居」がある。

この参道は外国人観光客も多く、写真を撮る人が多くてなかなか進めない。
「千本鳥居」という名だから「1000本」あると思うと大間違いで、「千本」は「多い」という意味だそうだ。

そこで私は帰り道に、「本当は鳥居が何本あるか?」を数えながら降りて行った。
途中で見物客で詰まると数が分からなくなので、立ち止まる時はメモに本数を書き留めた。その結果であるが、実際には最初の大きな鳥居を入れて「91本」で、1000本には909本足りなかった。

「千本赤鳥居」(日枝神社)

\ この記事をシェアする /

伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

アクセス総数
1,587,857回

コメント(2件)

  • 祭りの行列を見て思ったことは、その役割の決めるのはだれなのかな? 想像以上に若者の参加が多く、白装束で静々と歩くだけの若い女性たちや山車を引く若者男性陣などは祭りの花形であろう。くじ引きで決めるとしたら、競争率は高い事が予想される。賽銭箱を担ぐ役割はなかなか楽しいかもしれない。 年寄は誰も手を上げない「馬糞係」を担当している。これは自ら立候補した人であろう。 嫌がる仕事を率先して担うその気持ちを賞賛するのは同世代だからだろう。

  • 神幸祭りを4倍速で撮った映像を繰り返して観て、楽しみました。みなちょこまか動いているので、短時間内に大体の様子がわかります。お賽銭をあげた人にお祓いをするシーンがなぜかわからなくて、3回見てやっと了解できました。
    私が行った時も、鳥居の並ぶ稲荷参道は混んでいたので、翌朝9時に再び行ったら、もうすでにガイジン観光客であふれていて、またいい写真を撮ろうとするので各自の滞在時間が長くて閉口しました。

コメントを書く


心の伊達市民 第一号TOPページに戻る