また戦争の生き証人がいなくなった。カミさんの父が他界したのだ。
90歳を超える大往生だった。しかし俺にとっては、ただの義父の死ではなかった。
本当に悲惨な体験をした人は、それを語りたがらないものだ。墓まで持っていこうとするのが普通なのだと思う。若い頃の義父もそうだった。戦争の体験については、ほとんど口にしなかった。
転機は、数年前に認知症がはじまった義父を俺たち夫婦で引き受け、北海道に滞在してもらっていた頃のことだ。子どもたちに遺すためにも、当時の体験談をぜひ語ってほしいと頼んでみた。すると秋の夜長、暗くなり始めた部屋のソファーに腰かけながら、義父はゆっくりと話し始めた。
話は途中で繰り返されることもあったが、それでも当時小学生だったのに、細部をよく覚えているのには驚かされた。ビデオカメラの前で40分。それは朝鮮半島から命からがら引き揚げてくる話だった。
父親が列車の切符を手配した。役人だった父親はあとから追いかけてくる予定だったので、不在のまま急いで母と伯母、妹と一緒に列車に乗り込んだ。途中、何度も止まりそうになる列車をめがけて現地民たちが襲ってくるのを、同乗していた日本兵たちが刀を振り回して追い払う中、まだ小さかった義父は泣きながら座席の陰に隠れた。その混乱した情景が目に浮かぶようだった。そしてこの話は、我が家族の歴史として、次の世代にも伝えていかなければならないと思った。
介護中は、カミさんと一緒に正直しんどい思いをすることもあった。こちらの言うことを何度言っても聞いてもらえず、つい感情的になり、時に取っ組み合いの喧嘩までしたが、翌朝には、そんなことは露ほども覚えていなかった。ただ、義父とそれだけ真剣に向き合えたことは、今思えばうれしいことだったと思う。人生の最後にあの夜、思い出したくない記憶をあえて語ってくれたこと、そして何より、あなたがいなかったらカミさんとも出会っていなかった。これまでカミさんの良き父親でいてくれたことに、改めて心から感謝をしたい。
合掌

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