MENU

写真で見る東京(149)・・・鉄砲洲稲荷神社

19
1

【鉄砲洲神社の祭礼】
都バスに乗って家に帰る途中で、三越の先の三原橋街角広場で神輿の展示をしているのが見えた。チラッと見えたが、「鉄砲洲稲荷神社」の文字が読めた。
家に戻ってからHPを見たら、5月2日から4日まで鉄砲洲稲荷神社の「一千百八十六年例大祭」と出ていた。

翌日に改めて、三原橋街角広場に展示している神輿の写真を撮りに行った。
だが天気予報が夕方から「雨」の為か、展示は取止めになっていた。
仕方ないので、その足で「鉄砲洲稲荷神社」に行ってみた。

「鉄砲洲稲荷神社」の本殿

「鉄砲洲」とは変な名前の神社だが、「てっぽうず」と読む。
名前の由来は2つあり、1つは「隅田川河口付近にあった砂洲の名前で、「砂洲が細長く鉄砲の形をしていた」。もう1つは「江戸時代にこの付近で幕府が鉄砲や大砲の試射を行った」。

神社自体は承和8年(841年)に荏原郡桜田郷で生成太神(稲荷大神)を祀ったのが始まりと言われている。神社には「狛犬」の石像があるが、その理由は次のようである。

「狛犬は邪気を祓い、神前守護の意味を持つ。犬と書くが獅子と獅子形の架空の像で、起源はエジプトやインドと言われている。中国から朝鮮半島の高麗を経て日本に伝わったため、「高麗犬」と呼ばれるようになった。

神社には「狛犬」がつきもの。

神社の門を入り正面が本殿であるが、門のすぐ左側には立派な「神楽殿」がある。
ここで5月5日には「こども歌舞伎」が上演される。私も以前に見たことがあるが、本格的なものだった。

その由来は『明治8年に守田座から再興した新富座が、明治22年の歌舞伎座開場まで一時代を築いた。現在の京橋税務署の辺りにあったが、大正12年の関東大震災で被災し、そのまま再建されなかった・・・』

『平成19年に中央区地芝居という形で新富座の精神を残そうと、地元の方々の支援で子供達を役者として「新富座こども歌舞伎」が演じられるようになった』とある。

「神楽殿」

本殿の右奥に溶岩で固めた「富士山」が作られている。
鳥居の横に『危険ですから登らないで下さい』と書いた看板が置かれている。
東京には人工富士山が、アチコチで見られる。昔はその低い富士山からでも、本物の富士山が見えたようだ。

資料によると『東京(江戸)は「富士憑きの都市」と言われる。地名、都市計画、富士山型建築、庭園や遊園地などの人工富士山、銭湯のペンキ絵の富士山、富士山を食べる食品といった「うつし」の事例と、富士の仙薬、富士講など富士山を信仰対象とする宗教の事例から、自然を排除しつつも自然を取り込む仕掛けを作って来た』。

 「富士山」の頂上に小さな社が見えた。

鉄砲洲稲荷神社のように、「稲荷」が付く神社は多い。
「稲荷神社」ではその霊的な力を神聖なものとして受け入れ、信仰の対象としている。
狐は穀物を荒らすネズミを駆除することから、農耕の守護神と結び付き信仰されるようになった。

それにしても鉄砲洲稲荷神社は狐の置物の数が多い。
1ヵ所に10匹も置いてあったり、2匹が向かい合っているポーズもある。
本殿の左側には、いまでは珍しい「二宮金次郎」の像もある。
「二宮金次郎」とこの神社の関係は、調べてみたが分からなかった。

 狐が10匹もいた。

神社を出ようとしたら、左手にある手水舎に「反省」と書いた大きな文字が見えた。
近付いてよく見たら、次のように書かれていた。
『威張る時には神に捨てられ 欲張る時には金に背かれ 妬むときには友を持ち得ず 怒るときには 己を失うのだ』。

厳しい言葉だなー。今の私にはあまり関係ないような言葉だが、声には出さないが年を取ると「怒る」ことは増えたような気がする。

この「反省」は故人となった、先代の宮司の書のようだ。
彼が昭和30年から「寒中禊」を始めたそうで、今や名物となっている。

 「手水舎」にあった「反省文」

(おまけの話)
鉄砲洲稲荷神社の春の祭礼が行われたが、この祭りは東京で一番早い祭りだそうだ。
今年は陰祭りなのであまり派手ではないが、3日と4日に御本社神輿の渡御があるので見に行くことにした。

3日は早朝に鉄砲洲稲荷神社から出発で、4日は京橋公園のお旅処から出発する。
そして町内を巡行して、1泊2日で神輿に乗った神様は夕方に神社に戻る。

3日の私は午後から新橋演舞場か歌舞伎座辺りで見物し、4日は入船辺りで見物するつもりでいた。神様が1泊するお旅処は京橋の近くだが、そこも時間があれば行ってみたい。

まだ出発まで時間がある。

天気予報では4日は雨が降りそうだったので、そうなれば出掛けるのが面倒になる。
そこで3日の日だけにして、4日はパスすることにした。
宮神輿の巡行図を見ると、昭和通りから横道に入った場所で昼食の為に45分間の休憩がある。

現地に行くと大勢の祭り参加者がそれぞれの地区の法被を着て、弁当を食べていた。
やはりここでは「鉄砲洲稲荷神社」の法被と、「銀座」と書かれた法被が目立つ。
午後1時になり神主のお祓いに続き、担ぎ棒の上に年配の女性が立って「シャンシャンシャン」と手締めをした。

いよいよ神輿の出発

いよいよ神輿は出発となり、昭和通りに出て1つ目の信号を右折した。
警察官が出ていて、その間は通行止めになる。
神輿は新橋演舞場の前に行くので、私は先回りして歌舞伎座の向かい側で撮影ポイントを確保する。

しばらくしてやって来た神輿は晴海通りに出て、銀座4丁目方向に進む。
担ぎ手より関係者の方の人数がはるかに多い上に、外国人観光客を含めた見物客でごった返している。

最近はYOUTUBERが多く、長い竿の先にカメラを付けているので、これが非常に邪魔である。歌舞伎座からまだ色々と町内を巡り、夕方にお旅処に着く予定であるが、私はここで終りにした。

\ この記事をシェアする /

伊達季節移住のススメ

心の伊達市民 第一号

北海道伊達市に2003年夏より毎年季節移住に来ていた東京出身のH氏。夏の間の3ヵ月間をトーヤレイクヒルG.C.のコテージに滞在していたが、ゴルフ場の閉鎖で滞在先を失う。それ以降は行く先が無く、都心で徘徊の毎日。

アクセス総数
1,577,257回

コメント(1件)

  • お揃いの法被を粋に着こなした男衆に囲まれて揺られる神輿は日本の祭りの原点と思えます。祭りの混雑には疲れるが、大勢の仲間衆に守られ進んでゆく神輿の姿は神様も共に楽しむ大衆演劇の花道でありますね! 春、夏、秋と大祭が続いて収穫の喜びに沸く民衆の雄たけびが聞こえる。

コメントを書く


心の伊達市民 第一号TOPページに戻る