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見えざる手

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右利きの自分が、意識して左手を使うと興味深いことがわかった。

きっかけは、毎日休みなく動いてくれるこの手の、あたりまえすぎる素晴らしさに気づいたことだ。それをちゃんと意識するために、わざわざ左手を使うのだ。

手は実にすごい。
たとえばこうしてキーボードを打つとき、どのキーをどれだけの強さで叩くかなど、いちいち考えてはいない。思い浮かんだ言葉が、そのまま指の動きになる。手はいつのまにか最適な位置に収まっていて、左側のコーヒーカップまでの距離を測らずとも、迷わずそこへ向かい、誤差なく口元へ運んでくれる。言葉が途切れると、手は静かに止まる。暴走することは、今まで一回もない。

足も同じだ。歩き出すとき、「まず右足を……」などと段取りを考えるまでもなく動き出す。

こうした身体の自動機能を、もっと意識的に味わいたいと思った。内臓も含め、体の機能は数え切れないほどあるが、まずはいつも目の前で完全に機能している「手」はわかりやすい。

そこで、普段は右手でやっていることを左手でやってみているのだが、これが存外に難しい。動きがぎこちなくなるのはもちろんのこと、ある程度慣れてきても、気づけばいつのまにか右手を使っている。意識はこうもあっさりと、対象から外れてしまうものか。しかも、何かに意識を向け続けるというのは、想像以上に疲れることだ。気を抜けば意識は流れていく。気を留め続けるのは、じわじわとエネルギーを消費する。多分、脳は省エネで行為を自動化しているのだと思う。それは一瞬一瞬五感を通して入ってくる情報全てを情報処理するには消耗してしまうからだろう。

結局、一日中左手で過ごそうという試みはその大変さからすぐに諦め、最近は思い出したときだけ、できる範囲で続けている。

ただそうしていると、ある日、不思議な感覚が訪れた。どこからともなく込み上げてくるような、感謝に似た何かが、思考をふっと止めたのだ。時間が、一瞬だけ止まったように感じた。

その感覚は刹那に消えた。だからこそまた欲しくて、思い浮かんだ間だけ、意識の続けられる限りこの左手の遊びを続けている。けれど、あれ以来、何も起きない。いつかまた味わえるのだろうか。

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犬と暮らしとカヤックと

kayaker

豊浦町でワンコたちと暮らし、たまに海で遊ぶ日常をつづります。

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