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愛憎の橋

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女性というのは、本当に不思議な生き物だ。

さっきまで涙を流しながら激しくやり合っていたカミさんと娘が、もう声を上げて笑っている。嵐が過ぎ去ったというよりも嵐そのものが笑いになっている。

眺めていると、どうやら「論理的な決着」など最初からどこにも存在しないらしい。感情が波のように押し寄せ、ぶつかり合い、そしていつの間にか引いていく。そんな様子から男と女の違いをあらためて感じた。

40年。

赤の他人だったカミさんと過ごしてきたこの歳月からくる経験が、俺にひとつの確信を与えてくれた。人はそれぞれ、自分だけの価値観というOSの上で生きている。WindowsとMacが直接会話できないように、人と人もそのままではつながれない。わかり合えないのは能力や愛情の問題というよりも、根本的な構造の問題なのだ。

もちろん、これは夫婦に限った話ではない。だが夫婦という関係には、他のどんな人間関係にもない厄介なものが混ざり込んでいる。
それが「愛憎」だ。愛しているから、傷つく。憎らしいから、もっと愛しい。この矛盾が、些細な言い争いに想像以上の火をつける。

カミさんとの喧嘩は、いつも些細なことから始まる。

後から思い返せば、呆れるほどくだらないことだ。なのになぜあれほど激しくなるのか。俺の場合、怒りの火種は「話の中身」ではない。「話にならない」という、そのこと自体に腹が立つのだ。

なぜこんな簡単なことが伝わらないのか。なぜまったく議論が噛み合わないのか。

しかし少し冷静になれば気づく。カミさんから見ても、俺の態度はきっと同じに映っているはずだと。

お互いに「聞いていない」のではなく、お互いに「聞く気になれない」のだ。なぜなら、二人ともすでに自分が正しいと確信しているから。

そしてさらにここに、夫婦や親子の間ならではのやっかいなものがある。
「期待」だ。

この人ならわかってくれる。わかってほしい。その期待は一見、愛情のように見える。だが実態は、相手を自分の価値観に沿って動かそうとする「コントロール」に他ならない。だからうまくいかないとき、腹が立つだけでなく、自分が否定されたとまで感じてしまう。

「正しいこと」を言っても、人は動かない。それは相手も同じ確信を持っているからだ。ではどうすればいいのか。

俺の結論はこうだ。
「理屈より先に、感情をぶつけること。」

正しい・正しくないという土俵に上がる前に、好きだ・嫌いだ・悲しい・悔しい、そういう生の感情をまず差し出す。そこから「共感」が生まれたとき、はじめて相手の言葉が耳に届くようになる。感情が共鳴して初めて、理屈は意味を持ち始める。

異なるOSをつなぐアプリ——それが「感情」なのかもしれない。

さっきまで怒鳴り合っていた二人が、今は肩を並べて笑っている。
彼女たちを観察しながら、そこに理屈で40年戦ってきた虚しさをみた。

俺が間違っていたというわけか・・・。

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犬と暮らしとカヤックと

kayaker

豊浦町でワンコたちと暮らし、たまに海で遊ぶ日常をつづります。

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